東風吹かば 匂ひをこせよ 梅の花
あるじなしとて 春な忘れそ

菅原道真


 大阪でお祭と申しますと、まず天神祭が一ときて、二とは下がらん賑やかなお祭でございますが、上方落語の方で、この天満宮が登場するというのは、実はないような気がしますな。

 なんでございますぅ? ないことないやろ・・・て。
 あ、「初天神」でございましょ? そやけど、あのお話は、やんちゃ坊主の寅ちゃんを、おやっさん初天神に連れて行くのではありますが、途中で飴を買い、みたらし団子を買い、凧を買って…城の馬場へ凧揚げに行ってしまうのですね。参道の出店までは行っているのですが、お参りましませんのです。 

 「質屋蔵」という噺では、物の怪、怪異の噂の出ている質屋さんの三番蔵で、菅原道真公の絵姿が抜け出して、質置き主に伝言を頼みます。

「疾(と)く、利上げせよと伝えよかし…どうやら、また流されそうじゃ」
 菅原道真公と申しますと、平安時代の貴族、大学者でございまして、右大臣にまで昇進したのでありますが、左大臣・藤原時平に讒訴されて大宰府に流され、悲憤のうちに世を去りました。その恨みが怨霊となって、京都に落雷が相次ぎ、その怒りを鎮めるために、京都・北野に天満宮を建立したのだそうです。

 以後、道真公は「天神さん」として尊崇され、また、大学者であったことから学問の神様としても信仰を集めます。

 そして、道真公が筑紫の国に向かわれた折に、立ち寄られた場所、足跡には点々と「天神さん」が祀られておりますな。

 ところが、この天満の天神さんには、特に、道真公が立ち寄られたというような言い伝えはないようでございますね。実は、奈良時代の「難波の宮」を守るために都の四隅(西北、西南、東北、東南)で、疫病・悪気を祓う神事が行われたのでして、天満宮のお社の場所は、その「西北」の地に当たったのだそうです。現在は、天満宮の「摂社」ということになっておりますが、北門のすぐそばに「大将軍神社」というお社がお祀りしてございます。この大将軍神社こそ、その都のお祓いをするための神社だったのであります。

で、この辺り一帯を「将軍の森」といい、現在の地名の「南森町」は、この「森」に因むのでございます。
また、天神祭の船渡御は、海上からやってくる疫病(特に疱瘡)の脅威を、水際で撃退するための神事でございまして、この奈良時代からの由緒・由縁を今に伝えているのでございますよ。

天神さんへのお賽銭は、コインに限るのようそうですよ。
何で、てですか?
道真公は時平(しへい=紙幣)が嫌いだから、ございます。

ということで、本日はこれまで。


浪花・上本町 御可笑拵処「東雲堂」 狐狸窟彦兵衛 謹製
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