噺家と行く!落語散策そぞろ歩き! 噺の舞台を見て!聴いて!歩き隊! |
笑福亭純瓶さんと落語「桜の宮」の舞台を歩き、天満天神繁昌亭でその落語を聴くという試みを2015年3月29日催行いたしました。 朝からのあいにくの雨でございましたが、散策を始める午後2時には止みまして、桜の宮辺りでは薄日もさしてきました。桜は3分咲きをいうところでしたが、大阪の町のあまり知られざるあちこちを見て回り、楽しい一日となりました。 |
散策コース案内松っつぁん、あんたもぉ段取りできましたか、一番先行とくなはれ。松屋町筋を北へ行て、寺町から源八の渡しを渡って、向こぉから桜の宮へ乗り込んどくなはれ。てなことを、登場人物が言うておりますので、その辺りをぐるっと回るコースを考えました。 |
露天神社(お初天神) 「曾根崎心中」のお初徳兵衛の心中の地 池田の猪買い「お初天神の西門に紅卯という寿司屋がある、これが目印」 現在は、西門には交番所があります。 東門のねきにある「やまんそら」でお弁当を食べて出発でございます。 板長の心づくし。 春の酒肴があれこれと。 |
法清寺(かしく寺) 酒乱で兄を殺めた遊女「かしく」の塚がある。「酒の咎引き受け候 かしく」 千日前の獄門に曳かれていく途中、「油揚げ」を所望しました。この油を髪に差し、髪の乱れを直した姿を見て、見る人は「本来はたしなみのある人だったんだ」と改めて涙したといいます。 かしくは、死に臨んで「死後も私のような人のないよう、酒の咎(罪)は、引き受けましょう」と言ったと伝えられます。 |
円頓寺(萩野寺) 落語「鷺とり」 萩の寺円頓寺の池に仰山鷺が来る、あそこなら……。 現在は境内も狭く、ラブホテルに囲まれていて鷺のいるような池もありません。萩も咲いていないようです。 純瓶さんが「えーーー!? こんなんですかぁ」 と残念そうでした。 |
太融寺 淀殿の墓所がある。かつて鴫野に有ったが、明治時代に陸軍施設ができるので移された。 淀殿のお墓は、境内の北西隅にひっそりと。 今年は大坂夏の陣400年。淀殿が大坂城に秀頼と自刃して果ててから400年の歳月が過ぎました。 豊臣を滅亡に導いた稀代の悪女みたいに言われてますが、戦国の世を誇り高く生きようとした人だったんでしょうね。 |
堀川戎 ミナミの「今宮戎」に対し、「キタのえべっさん」として江戸時代中期ころから大勢の参拝者を集めた。 今は阪神高速の高架下になっていますが、ここに「堀川」がありました。堀川に面しているから「堀川戎さん」ですな。 |
寺町 成正寺(大塩平八郎)、善導寺(山片蟠桃)、龍海寺(緒方洪庵とその一門)など著名人の墓所が多数ある。 古地図を手に歩くと、当時のお寺が軒並み並んでいるのに改めて驚きます。 堀川から東を「東寺町」、西を「西寺町」といいます。 現在は寺町と言う地名はありませんが、バス停に「寺町通」とその名をのこしております。 また、この辺りは、奉行所やお城に勤めるお侍「与力」「同心」の役宅が並んでいた場所で、「与力町」「同心町」などの地名が残っています。 |
源八橋 元は渡しで結んでいた。橋が架かったのは昭和11年。 橋の上から大坂城が望見できます。 桜の宮の河川敷の公園は三分咲きで、雨上がりのもやに霞んでおりますが、ま、それはそれで風情がありました。 |
桜の宮 旧東生郡野田村「小橋」桜の馬場字「宮田」にあった社殿が、1620年(元和6年)に大和川の洪水で流され、何度かの変遷ののち、1756年(宝暦6年)現在地(中野村字厨)に遷座 落語「桜の宮」「百年目」 境内には桜の古木があり「神樹」の碑がありました。 ここもラブホテルに囲まれて、周囲は往年の風情のよすがもございませんが、社殿や参道はそれなりの風格を感じさせるお宮さんででございましたよ。 |
大長寺跡 近松門左衛門「心中天網島」の小春治兵衛の心中の地。藤田男爵邸跡。侠客たが袖乙吉が生け捕りにしたという「淀川の主鯉」の鱗も保存・展示されている。 この辺りは、漁師さんが網を干した場所なので「網島」と呼ばれました。 |
川崎橋 「川崎の渡し」があった。対岸には神君家康公を祀った川崎東照宮がある。明治初期に橋が架けられたが流出。現在の橋は1978年(昭和53年)に架けられた。 橋は歩道橋です。 対岸には武家屋敷の遺構がある街並みもあります。 |
京橋 大坂城の北。淀川を通じて京都と結ぶ重要な要衝。公儀橋だった。北詰めに「川魚市場」の跡がある。 京橋の上に「大坂橋」(歩道橋)が掛かっています。 落語では薩摩の侍と思しき登場人物が 見られ、あれに見ゆるが豊太閤(ほぉたいこぉ)が築かれし南面山は不落城。前の流れがこれ音に名高き淀川ですばい、ん〜ん見事じゃ。われら国許にも斯様(かよぉ)なところがあれば、どんぎゃん愉快でありまっしょ〜なぁ。当所桜の宮は今が満開と聞く、国への土産に見物いたそぉではなかか? てなことを言うておりますが、江戸時代の幕府直轄地となった大坂で「豊太閤」てなことをいうたかどか……。 |
東町奉行所跡 落語「佐々木裁き」に西町奉行佐々木信濃守が登場。実際は東町奉行だった。 西町奉行所は、当初、東町奉行所と並んで建てられておりましたが、火災で両方とも焼けたので、リスク分散のため、すこし西の本町橋東詰(現在の大阪商工会議所)辺りへと移転されました。 |
八軒家浜跡 落語「三十石夢の通い路」に登場する三十石舟の起終点。伏見からの下りは川の流れに沿って下り、上りは人力で引っ張り上げた。 土佐堀通り沿いの昆布屋「永田屋」さんの表に石碑があります。 近くには、かつて「浜」へと通じた「石段」と思しき階段も残っています。 |
天神橋 難波橋、天神橋とともに難波三大橋の一つ。江戸時代には中洲が伸びておらず、大川を一気に跨ぐ長大な太鼓橋だった。 現在は中洲の先端に噴水があって天気の良い日はきらきらと虹がかかります。 |
天満宮 元々、難波の宮の北辺を守る「大将軍社」が鎮座していた。菅原道真公が大宰府に左遷される時、お参りしたと伝わる。 今回の散策の終点。 |
天満の天神さんの境内をずーーと抜けますと、上方落語の殿堂、天満天神繁昌亭があります。 散策の後、夜席で純瓶さんの「桜の宮」と「野ざらし」を聴きました。開口一番は林家染八さんの「刻うどん」 野ざらしも淀川堤へ釣りに行く話です。 刻うどんの時を告げる鐘は、八軒家浜近くの時鐘でついておりましたんで、散策に無関係とも言えません。 いやはや。 およそ3時間。 お疲れ様でした。 |
また、ちょいちょい、こんなんしてみようと思っています。 お楽しみに! |