世の中にたえて桜のなかりせば

春の心はのどけからまし

在原 業平

平城京の青龍に擬せられる佐保川の堤は、桜並木が満開でございました。
ゆるゆる遡っていくと、JRみやこ路線の踏み切りを渡ったところに樹齢約150年という「川路桜」が見事な枝を流れに向かって差し伸べています。

川路桜は、 幕末の奈良奉行、川路左衛門少尉聖謨(かわじ・さえもんのじょう・としあきら)が数千本植えさせた桜と楓の1本と伝えられています。

興福寺南大門跡の前にある石段「五十二段」のそばに立つ「桜楓之碑」には、「たくさんの人が、東大寺や興福寺の境内に出て、むしろを敷いて宴遊を楽しむ様は太平の象徴である。この風景を永続させるために桜と楓を奈良中に数千本植えた。やがて、枯れるようなことがあっても、代々の人が補っていけば百世の後の人も楽しむこおtが出来る」という意味の聖謨の言葉が刻んであります。

川路桜は、その「百世の後の人」の営みを見守っているようにもみえます。

それはさておき、わかぎゑふさんのエッセー集「いかん。あかん。よう言わん!!」に、子どもに「なあ、お母さんは、人間のめしべなんか」と聞かれて、「アホ、そんなスケベなこと誰から聞いたんや!」と言ってしまった母親が登場する「スケベな母」という一編があります。

「いらんことを言うてしもうた」と後悔しつつも軌道修正の機を逃してしまった母親の憂いも知らず、その子は、満開の桜の下で

「わぁ、ほんならこの桜はみんなスケベな花なんかぁ」

と感心してしまうという・・・。

これを読んでからというもの、満開の桜の下を歩くと、どうしても頬が緩んで、ひとりでニヤニヤしてしまい、なんだか恥ずかしくて仕方がありません・・・。

逢ひ見ての 後の心に くらぶれば 昔は物を 思はざりけり

権中納言敦忠


 

狐狸窟彦兵衛 花に浮かれて 逍遥記の番外発行でございます。