世の中にたえて桜のなかりせば 在原 業平 |
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平城京の青龍に擬せられる佐保川の堤は、桜並木が満開でございました。 |
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興福寺南大門跡の前にある石段「五十二段」のそばに立つ「桜楓之碑」には、「たくさんの人が、東大寺や興福寺の境内に出て、むしろを敷いて宴遊を楽しむ様は太平の象徴である。この風景を永続させるために桜と楓を奈良中に数千本植えた。やがて、枯れるようなことがあっても、代々の人が補っていけば百世の後の人も楽しむこおtが出来る」という意味の聖謨の言葉が刻んであります。 川路桜は、その「百世の後の人」の営みを見守っているようにもみえます。 |
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それはさておき、わかぎゑふさんのエッセー集「いかん。あかん。よう言わん!!」に、子どもに「なあ、お母さんは、人間のめしべなんか」と聞かれて、「アホ、そんなスケベなこと誰から聞いたんや!」と言ってしまった母親が登場する「スケベな母」という一編があります。 逢ひ見ての 後の心に くらぶれば 昔は物を 思はざりけり 権中納言敦忠
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狐狸窟彦兵衛 花に浮かれて 逍遥記の番外発行でございます。 |