かんかんのぉ きゅうれんす きゅはきゅできゅう(らくだ)

上方落語の大ネタに「らくだ」というのがあります。
暴れもんの「らくだの卯之助」というのが、ふぐを食べて死んでしまっているところへ、兄貴分の「弥猛た熊五郎」がやってくる、という、なんと題名になっている主人公が終始一貫死んでいるという噺です。高層マンションを背景にした谷町6丁目の町並み

「回想シーン」も「子役」も一切なし。ずっと死んでますな。

で、その熊はんが、「弟分」の弔いごとをしようという義侠心を起こしますが、彼もまた無頼の暴れ者。その上一文無し。

たまたま通りかかった「紙屑屋さん」を呼び入れて、葬儀の真似事の手伝いをさせます。

それが、また全然うまくいかない。

熊さんの「名代」で、使い走りをさせられる紙屑屋さんもええ迷惑で、長屋、大家、近所の漬物屋・・・。
「らくだにはエライ目に合わされたけど、弔ってやるような義理はない」というけんもほろろの応対ばかりでございます。
直木三十五記念館そこで、熊五郎が抜く伝家の宝刀こそ、「しぶとのかんかん踊り」

夜伽の酒肴を断った大家の家に、らくだの遺骸を運び込んで、紙屑屋さんに支えさせて
「かんかんのぉ きゅうれんす」と、踊らせるという、なんともえげつないパフォーマンスを披露して「うん」と言わせるんですな。

かんかんのぉ〜、というのは何でも中国語の元歌があるようですな。
で、メロディは「梅が枝の手水鉢」。
何のこっちゃ分からん歌ですが、江戸時代から明治にかけて流行ったそうです。

ま、それはさておき、お話の中では、紙屑屋さんが感心しております。

「あんたはえらいなぁ。人の世話というのは金があってもなかなかでけんもんや。それをあんたはないのに、やってしまう」

ま、ほめてるのか、くさしているのか、あきれているのか。
九之助橋あたり噺の聴きどころは、熊五郎に顎で使われていた気弱な紙屑屋さんが、無理強いされて飲んだ酒が回るほどに気が大きくなり、今度は熊五郎が手を焼くような酒乱ぶりを発揮するところですね。

二人は、らくだの遺骸を漬物桶の古いのを棺桶に貰い受けて、長屋から千日前の火屋(火葬場)に運びます。

これが、昔「野漠(のばく)」と呼ばれていたあたりと申します。

どこやろなぁ、と調べますと、現在の谷町6丁目あたり。

地下鉄「松屋町」駅の東側、空堀商店街の北側で、長堀通りの南北沿いあたりのことらしいです。東横堀川の東、船場の外側ですから、ご大家の並ぶ場所とは随分と違う、下町、庶民の町であったのでございましょうね。

直木賞の由来となりました作家の直木三十五せんせの生家が現在「記念館」として一般公開されております。

一帯は、現在も路地が続く住宅街でございます。
太左衛門橋で、熊五郎と紙屑屋の「葬礼(そうれん)」ごとが練り歩きますのが、この野漠から、東横堀川にかかる「九之助橋(くのすけばし)。
さらに進んで、堺筋に出て、左折。

昔は、堺筋は、砂糖屋さんが軒を連ねていたそうです。噺の中に、砂糖屋さんの丁稚さんが「汚い葬礼やな」と行ったのを聞きとがめて、「棺桶」を店先に据えて、何がしかを強請(ゆす)りとる、ちゅう場面が出てくる演出もあるようです。

どんどん南に進んで日本橋北詰。

そこから宗右衛門町に進んで、太左衛門橋。
この橋を渡りますと、千日前に続く商店街に出ます。

太左衛門橋のそばには、道頓堀を船で遊覧する「とんぼりクルーズ」の船着場があります。

現在の太左衛門橋は歩行者専用になっていて、観光客で賑わっています。

渡ったところに、串カツ屋とたこ焼きがが店を出していて、長蛇の列。
外国語も飛び交って、いつに変わらぬ陽気なことぉ・・・。、
 千日前ということで、終着は「千日前」。この辺りが昔、刑場のあった場所。

千日回向をするお寺が、法善寺と竹林寺竹林寺という二つのお寺やったそうですが、竹林寺のあったところには、現在はボーリング場を主としたレジャービルになっております。

ネットで検索すると、3008年(平成20年)に移転の公示が出ていたそうで、移転先は、天王寺区勝山1丁目。

うかつなことで、さっきまで知りませんでした。

ぶらぶら歩いても1時間もかかりませんが、酔っ払って、死人を担いで、ワーワー言いながら歩くと、結構しんどいようにも思いますが。

ま、本日はこの辺で。

かんかんのう歌詞

かんかんのう きゅうれんす きゅわきゅうできゅ 
さんしょならえ さあ いほう しーかんさん 
ぴんびん たいたい やんろ
めんこが くわくで きゅうれんそ

らくだの葬礼関係地図


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浪花・上本町 御可笑拵処「東雲堂」 狐狸窟彦兵衛 謹製
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