勿体ない事ながら、観音様をかこつけて
逢ひにきたやら南やら、知らぬ在所も厭ひはせぬ

近松半二 新版歌祭文  野崎村の段

野崎観音は、曹洞宗のお寺で正式名称を「福聚山慈眼寺」といいます。

お寺の公式ホームページには「天平勝宝年間(749〜757年)に大仏開眼のため来朝した婆羅門僧正が『野崎の地は釈迦が初めて仏法を説いた鹿野苑(ハラナ)によく似ている』と行基様に申されました。感動された行基様は、観音様のお姿(十一面観音)を彫みこの地に安置されましたのがこのお寺のはじまりです」とあります。
駅前の参道風景(一杯の人出)さて、5月の初めは、有縁無縁問わずすべてのものに感謝を捧げるという「野崎参り」でにぎわいます。

「♪野崎参りは屋形船で参ろう」という東海林太郎さんの有名な歌があり、落語「野崎参り」でも「野崎さんまで歩かさん…」とかなんとかいうて船に乗り込みますが、現在は、みなさんJR学園都市線(片町線)の野崎駅から歩いて参道を登ります。

どうです。ものすごい人、両脇には露店がずらーーーと並んでおりますな。

「はい、買うて行って、うまいで、うまいで」
「ひよこやで、ひよこ釣り、一回300円…」
「どらえもん、ピカチュウ、あんぱんまん、全部入ってるカステラ焼き、どないや、どないや」
「かき氷、蜜かけ放題!大サービス!」

参道は、売り声と、ソースやら、カステラやら、しょうゆや色々な香りの混ざった煙がたなびいております。

そして頭上のスピーカーから東海林太郎さんの歌声が…。
 本堂
 雑踏の参道、急な石段をどんどん、どんどんと登ってい参りますと、本堂。

御本尊は、行基さんが自ら刻まれたという白檀の一木彫の十一面観音菩薩像でございます。
江口の君堂本堂の右手には、「江口の君堂」があります。

病気に悩んでいた「江口の君」が、長谷寺にお参りして病気平癒を祈ったところ、「野崎の観音様にお参りせよ」とお告げがあって、このお寺に御参詣したところ、快癒したので、お堂を寄進なさったそうです。それで、「江口の君」を「中興の祖」として、お像を作ってお祀りしているとのこと。
お堂の奥の御簾に透かせてかすかにお姿が拝せられます。

「江口の君」というのは、神崎川と淀川の合流点にあった「江口の里」という水上交通の要衝の遊女たちのことだそうですが、ここではお一人の具体的な女性として祀られ、尊崇をあつめておられます。また、「江口の君」は西行法師と歌問答をしたという伝説もあり、「謡曲」にもなっているようでございますね。
 江口の君堂から、さらに奥へと参りますと、お染久松の塚お染久松の塚があります。

実際にあった心中事件に取材した近松半二の人形浄瑠璃「新版歌祭文」が有名です。

親の決めた許婚者がいるにもかかわらず、恋仲になってしまったお店のお嬢さまと丁稚の悲恋の物語。

歌舞伎では、普段の花道のほかに、上手にも花道を作る「両花道」を使って、久松は駕籠で、お染は船でお店に戻る演出が見られます。

落語ファンには春団治さんの出囃子で知られる「野崎」は、このシーンで演奏される伴奏でございます。
 では、船は、どの川に就航していたのでしょうか。裏山から望む野崎観音
野崎駅を降りてすぐ、谷田川という川を渡ります。

細い、汚い川ですが、昔はもっと水量もあり、船を浮かべることもできたのでしょう。また、天満橋の八軒家船着き場から遡上するコースもあったようです。さらには、お寺の西側一帯が大きな池になっていて、大阪に続いていたという。

それは、もう湖のような感じですが、昔から、この辺り一帯は低湿地たいでございましたから、水上交通が日常の移動手段だったのでございましょうね。

落語の野崎参りの二人は、徳庵堤から船に乗ります。JRの駅に「徳庵」という駅がございますが、この辺からでしょうね。それから、寝屋川沿いに遡上いたします。

お寺の裏手は、ハイキングコースになっておりまして、高みから展望が開けます。

現在は、船で行き来したようなよすがはみられません。ずーーと向こうまで、家やら工場が建てこんでおります。
 
野崎小唄

野崎参りは屋形船参ろう
どこを向いても菜の花盛り
粋な日傘に蝶々もとまる

作詞/今中楓渓 作曲/大村能章 歌/東海林太郎

浪花・上本町 御可笑拵処「東雲堂」 狐狸窟彦兵衛 謹製
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