めんない千鳥、百千鳥、鳴くは梅川 川千鳥・・・ 冥土の飛脚 落語の「壺算」は、せともん町に水甕を買いに行く話です。大阪は、水が悪くて、淀川の水を汲み上げて、水売りが市内を売りに来たのだそうで、その水を買ってためておく水壺でございます。水売りが、おうこ(天秤棒)に振り分けて担ぐ水桶の一荷い分を一荷入りといい、約60リットルだそうです。その一荷入りが割れたので、二倍入るニ荷入りを買いに行く話ですが・・・。 |
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大阪城の天守閣の入り口の前にあるのが「金明水井戸屋形」です。井戸は深さ33mもあって、覗いても真っ暗けでございます。ところが、顔を出すと、ひんやりと冷たい。冷気が「上がってくる」というのもけったいですが、ほんまに冷たいのです。 |
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大阪城を大手門から出て南に参りますと、馬場町。NHKを尻目に殺し、飛鳥、奈良時代に都のあった難波宮跡をまーっすぐ縦断し、さらにちょいと南にいきますと、「越中井」がございます。 |
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その越中斎の屋敷がこのあたり。井戸は、屋敷の台所付記にあったとされています。そばには、徳富蘇峰の筆になる碑があり、夫人の辞世が刻んであります。 散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ カトリック玉造教会の大聖堂が、すぐ近くに建っていて、ガラシャ夫人と、キリシタン大名の高山右近の像が並んでおります。 |
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その大聖堂を目印に、左に折れてたらたらっと坂を下りますと、おなじみ玉造稲荷が鎮座まします。 |
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こちらは、以前にご紹介した、産湯稲荷の玉乃井です。「大小橋命」がこの井戸の水で産湯をつかったい井戸とされておりまして、『摂津名所図会』に、「産湯清水、味原池の南にあり。大小橋命の産湯の水となん。名泉にして清徹、外に溢れて四時涸れず、味わい甘味なり。」と記されているそうでございます。
ということで、次は、高津さんにお参りしましょう。 さ、こっちでっせぇ。 |
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落語「愛宕山」に、京都の旦那に、大阪をしくじった太鼓持ちがお供をして、「大阪には、はしがないやろう」と、からかわれる場面があります。「大阪は、八百夜橋いうて、橋はいくらでもありまっせ。淀屋橋、心斎橋、戎橋・・・」「そら、みな<ばし>やろ、京都にはちゃんと三条大橋、四条大橋、五条大橋とみな<はし>や」、と訳の分からん自慢をしています。
そういわれれば、確かに大阪のはみな<ばし>なんですが、 高津さんの境内に「梅乃橋」という、小さな橋がございます。これは、まさしく<はし>でございます。 それが、どやねん・・・ということなんですが。 |
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この下は今は、玉石がしきつめてあって、どうも、お池を作りかけておられるような感じなのですが、かつては、梅川という川が流れていたのやそうです。 |
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上町台地一帯には、「天王寺七名水」といって、良い井戸が七つあったんやそうで、「増井の清水」「安居の清水」「亀井の井戸」「逢坂の清水」「玉手の清水」「有栖の清水」「金竜の清水」といいます。 めんない千鳥、百千鳥、鳴くは梅川 川千鳥。水の流れと身の行衛、恋に沈みし浮名のみ 難波に残し留まりし でございます。 |
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四天王寺の南大門を出て、たらたらたらと、南に下りますと、庚申堂がございますが、さらにその南にありますのが、「清水井戸地蔵尊」。お地蔵さんの横手に井戸があり、ひしゃくが添えてあります。 |
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さて、長々お付き合いを頂きましたが、大阪城から四天王寺まで、難波の宮に都がおかれたことから、ずーっと、この上町台地の地下深くから、こんこんと清水が湧き出ていたのでございますね。 こんな意味でも、大阪は「水の都」なのかもしれませんね。 都市化が進むにともなって、水質、水量が落ち、伝承にしか現れない清水もあるのは、残念なことです。 |