走り書き、謡(うたい)の本は近衛流(このえりゅう)。野郎帽子(やろうぼうし)は若紫。悪所(あくしょ)狂いの身の果ては、かく成り行くと定まりし、釈迦の教えもあることか、見たし憂き身の因果経。
明日は世上の言種(ことぐさ)に、紙屋治兵衛が心中と、あだ名散り行く桜木に、根ほり葉ほりを絵草子の、版摺る紙のその中に、あるとも知らぬ死神に、誘われ行くも商売に、うとき報いと観念も、とすれば心ひかされて、歩み悩むぞ道理なる。
頃は十月、十五夜の月にも見えぬ身の上は、心の闇のしるしかや。今置く霜は明日消ゆる、はかなきたとえのそれよりも、先へ消え行く閨(ねや)の内、愛し可愛(かわい)と締めて寝し、移り香も何と流れの蜆川、西に見て朝夕渡るこの橋の、天神橋はその昔、菅丞相(かんしょうじょう)と申せし時、筑紫(つくし)へ流され給いしに、君を慕いて大宰府へ、たった一飛び梅田橋。
跡追い松の緑橋、別れを嘆き悲しみて、跡に焦がるる桜橋。今に話を聞き渡る、一首の歌の御威徳(おんいとく)。かかる尊き荒神(あらがみ)の、氏子(うじこ)と生まれし身をもちて、そなたも殺し我も死ぬ、元はと問えば分別の、あのいたいけな貝殻に、一杯もなき蜆橋。短き物は我々が、この世の住まい秋の日よ。
十九と二十八年の、今日の今宵を限りにて、二人の命の捨て所。爺(じい)と婆(ばば)との末までも、まめで添わんと契りしに、丸三年も馴染まいで、この災難に大江橋。
あれ見や難波小橋から、舟入橋の浜伝い。これまで来れば来る程は、冥途の道が近付くと、嘆けば女も縋(すが)り寄り、もうこの道が冥途かと、見交わす顔も見えぬ程、落つる涙に堀川の、橋も水にやひたるらん。
北へ歩めば我が宿を、一目に見るも見返らず、子供のゆくえ女房の、哀れも胸に押し包み、南へ渡る橋柱。数も限らぬ家々を、いかに名付けて八軒屋。誰と伏見の下り舟、着かぬ内にと道急ぐ、この世を捨てて行く身には、聞くも恐ろし天満橋。
淀と大和の二川を、一つ流れの大川や。水と魚とは連れて行く、我も小春と二人連れ。一つ刃の三瀬川、手向けの水に請けたやな。何か嘆かんこの世でこそは添わずとも、未来は言うに及ばず、今度の今度の、ずっと今度のその先の世までも夫婦ぞや。
一つ蓮(はちす)の頼みには、一夏(いちげ)に一部夏書(げがき)せし、大慈大悲(だいじだいひ)の普門品(ふもんぼん)。妙法蓮華京橋を、越ゆれば至る彼の岸の、玉の台(うてな)にのりをえて、仏の姿に身をなり橋。
衆生済度(しゅじょうさいど)がままならば、流れの人のこの後は、絶えて心中せぬように、守りたいぞと及びなき、願いも世上の世迷言(よまいごと)、思いやられて哀れなり。
野田の入江の水煙、山の端(は)白くほのぼのと、あれ寺々の鐘の声こうこう、こうしていつまでか、とても長らえ果てぬ身を、最期急がんこなたへと、手に百八の玉の緒を、涙の玉に繰り混ぜて、南無網島の大長寺。藪(やぶ)の外面(そとも)のいさら川、流れみなぎる樋(ひ)の上を、最期所と着きにける。
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