新上方逍遥記

 「心中天の網島」小春治兵衛の道行の足跡をたどる
 
 
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国立文楽劇場の2013年4月公演に、近松門左衛門の「心中天網島 」がかかっていました。
妻子のある身で家業をほったらかして、三年間遊郭に通い、馴染みの遊女と心中の約束までしてしまった紙屋治兵衛。

「どうぞ別れてやって」と手紙を出す妻おさん、涙を隠して縁切りを決意する遊女小春、弟の放蕩を意見する兄、娘を心配して連れ帰る父親……。

「なんで、そうなるの?」といううちに、死の淵へと「追いやられる?」二人の運命が破綻なく描かれていました。

と、いうか治兵衛くんが、「あ、こんなことしてたらあかん」と、もうちょっと早う気ぃついていたら、こんなことにはならんのですが、それでは、芝居にはなりませんからね。

なにより、この心中は、「ほんまにあった」事件をもとにしております。

細部の虚実はともかく、

 「悪所(あくしょ)狂いの身の果ては、かく成り行くと定まりし…」

その顛末を、義理人情とか勧善懲悪とかの「価値観」を飛び越えたところで、淡々と二人の死出の道行を描いているとことが、なんか、ぞくっとするようなリアリティを持つ、「怖い」作品でございました。

最終章「道行き 名残の橋づくし」は、二人の道行を遊郭のあった曽根崎新地から、最期の地の網島・大長寺まで川沿いの橋づくしで描写する「名場面」でございます。

現行の床本では、現在の御堂筋と新地上通りの交差点あたりにあった、「蜆橋」から出発しておりますが、原作は、もう少し西の堂島3丁目。今検察庁などが入った総合庁舎辺りにあった「梅田橋」から、蜆川沿いに「橋づくし」の文句が続いています。

大長寺は、現在は都島区中野町に移っておられますが、元は網島町の現在の藤田美術館あたりにあったんやそうで、藤田邸跡の公園に残る門が、その遺構だそうです。

蜆橋が架かっていた「蜆川」は1909年(明治42年)に発生した大火のがれきで埋め立てられてしまいますが、「曽根崎心中」や、落語「池田の猪買い」にも登場します。

梅田橋から大長寺まで、てくてく歩いてみました。大体6km、1時間半くらいでしょうか。

原文

走り書き、謡(うたい)の本は近衛流(このえりゅう)。野郎帽子(やろうぼうし)は若紫。悪所(あくしょ)狂いの身の果ては、かく成り行くと定まりし、釈迦の教えもあることか、見たし憂き身の因果経。

明日は世上の言種(ことぐさ)に、紙屋治兵衛が心中と、あだ名散り行く桜木に、根ほり葉ほりを絵草子の、版摺る紙のその中に、あるとも知らぬ死神に、誘われ行くも商売に、うとき報いと観念も、とすれば心ひかされて、歩み悩むぞ道理なる。

頃は十月、十五夜の月にも見えぬ身の上は、心の闇のしるしかや。今置く霜は明日消ゆる、はかなきたとえのそれよりも、先へ消え行く閨(ねや)の内、愛し可愛(かわい)と締めて寝し、移り香も何と流れの蜆川、西に見て朝夕渡るこの橋の、天神橋はその昔、菅丞相(かんしょうじょう)と申せし時、筑紫(つくし)へ流され給いしに、君を慕いて大宰府へ、たった一飛び梅田橋

跡追い松の緑橋、別れを嘆き悲しみて、跡に焦がるる桜橋。今に話を聞き渡る、一首の歌の御威徳(おんいとく)。かかる尊き荒神(あらがみ)の、氏子(うじこ)と生まれし身をもちて、そなたも殺し我も死ぬ、元はと問えば分別の、あのいたいけな貝殻に、一杯もなき蜆橋。短き物は我々が、この世の住まい秋の日よ。

十九と二十八年の、今日の今宵を限りにて、二人の命の捨て所。爺(じい)と婆(ばば)との末までも、まめで添わんと契りしに、丸三年も馴染まいで、この災難に大江橋
あれ見や難波小橋から、舟入橋の浜伝い。これまで来れば来る程は、冥途の道が近付くと、嘆けば女も縋(すが)り寄り、もうこの道が冥途かと、見交わす顔も見えぬ程、落つる涙に堀川の、橋も水にやひたるらん。
北へ歩めば我が宿を、一目に見るも見返らず、子供のゆくえ女房の、哀れも胸に押し包み、南へ渡る橋柱。数も限らぬ家々を、いかに名付けて八軒屋。誰と伏見の下り舟、着かぬ内にと道急ぐ、この世を捨てて行く身には、聞くも恐ろし天満橋。
淀と大和の二川を、一つ流れの大川や。水と魚とは連れて行く、我も小春と二人連れ。一つ刃の三瀬川、手向けの水に請けたやな。何か嘆かんこの世でこそは添わずとも、未来は言うに及ばず、今度の今度の、ずっと今度のその先の世までも夫婦ぞや。
一つ蓮(はちす)の頼みには、一夏(いちげ)に一部夏書(げがき)せし、大慈大悲(だいじだいひ)の普門品(ふもんぼん)。妙法蓮華京橋を、越ゆれば至る彼の岸の、玉の台(うてな)にのりをえて、仏の姿に身をなり橋

衆生済度(しゅじょうさいど)がままならば、流れの人のこの後は、絶えて心中せぬように、守りたいぞと及びなき、願いも世上の世迷言(よまいごと)、思いやられて哀れなり。
野田の入江の水煙、山の端(は)白くほのぼのと、あれ寺々の鐘の声こうこう、こうしていつまでか、とても長らえ果てぬ身を、最期急がんこなたへと、手に百八の玉の緒を、涙の玉に繰り混ぜて、南無網島の大長寺。藪(やぶ)の外面(そとも)のいさら川、流れみなぎる樋(ひ)の上を、最期所と着きにける。 

       
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