その2 たかき屋に登りて見れば 腹の立つ、あっちもこっちもビルばかり

2008年は子年ですが、この「子」年にちなんだ噺に、「高津の富」があります。
大金持ちだと法螺を吹いて、宿屋に泊まるおやっさんが、宿屋の亭主から売りつけられる富札が「子の1365番」です。
かつて六代目の笑福亭松鶴さんが、1365をその年の西暦にするという趣向をしたことがあるそうです。おそらく1972年のことではないかと思われますが、
「番号がよろしい 子の1972番」
と、客席を沸かせたところまでは良かったのですが、 途中で、「子ぇのせん・さん・びゃく・ろくじゅう・ごばん」と、
本来の姿に戻ってしまったので、仕方なく、その後は、従来のままで演じてしまった、 とか。上手の手から水が漏れるというか、豪放磊落な6代目ならではの挿話であるような気もします。

地下鉄谷町9丁目の駅の北西300m、歩いて5分ほどのところに高津宮があります。
「仁風敷宇宙 徳化洽乾坤」と書いた石の門の向こうに石段が見えております。頭の二文字で「仁徳」でございますね。仁徳天皇をお祀りしている神社でして、高津の富のほかに、大家の若旦那が、一目惚れの恋患いに陥る「崇徳院」の出会いの場も高津さんです。

石段をトントントンと登って、正面が本殿。お参りをして右側を見ますと、絵馬堂があって、かつて、仁徳帝が、高台から「民の竈に煙が立っていないのは、貧しく、餓えているからだ」と看破して、3年間徴税を停止したという故事を偲んで建てられたというのですが、残念ながら現在はビルだらけで、民の竈どころか、工場の煙突も見えません。

この辺りに、茶店があって、「あそこの羊羹、ぶあつぅ切ってあってうまい」と「崇徳院」で、若旦那の見舞いに来る熊はんは、のんきなことを言っております。
さて、このお宮さんは、戦国時代に大阪城あたりにあったのを、豊臣秀吉の時代にこの地に移したそうです。

そうすると、仁徳帝の
「たかき屋に登りて見れば煙立つ民のかまどは賑わいにけり」

というお歌も、別の高台だったのでしょうね。
仁徳さんという方、なかなか、色好みのお方やったとも記紀には記してあります。

吉備の国から来た「黒姫」を寵愛していたところが、葛城の「磐之媛」が悋気して、
「そんな娘は、故郷に帰してしまいなさい!」と、怒ったというので、仁徳さん、黒姫を船に乗せて見送ります。

遠ざかる船を見つめて

「沖方には 小船連らく くろざやの まさづ子吾妹国へ下らす」
と帝が歌ったのを聞きとがめた磐之媛さん
「きーーー、悔しいやないか、黒姫は、船に乗る事あいならん。歩かせなはれ」

黒姫は、途中で上陸させられて、歩いて吉備に帰ります。

仁徳さんは、今度は、「そうや、ちょっと淡路島まで国見に行ってきます」 といって、船を出し、

「おしてるや 難波の崎よ 出で立ちて わが国見れば 淡島 自凝島 檳榔の 島も見ゆ 放さけつ島見ゆ」
と歌いながら、吉備の国まで言ってしまうという。なんか、すごい大旅行ですね。

古代の大ロマンを偲びつつ、絵馬堂の裏へでますと、「相合いの坂」というのがあります。 神社の裏側に、ちょうど二等辺三角形の形にに石段があって、恋する二人が、両方から駆け上がって、ちょうど真ん中で出会ったら、恋が成就するそうです。どうぞ、いっぺん試してください。

え?だれです、仁徳さんのお宮さんの階段・・・? そら、三角関係とちゃうか、なんて言うてるのは!

相合いの坂は、高津さんの西側、絵馬堂の裏にあります。


浪花・上本町 御可笑拵処「東雲堂」 狐狸窟彦兵衛 謹製
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