酒の咎 引き受け申しそろ かしく


かしく大明神のお堂

老松町から、堂島の方へと思いましたが、ふと気が変わって、国道1号にかかっております歩道橋を北に渡りました。門前に「かしく 法清寺」と
国道1号の終点は大阪・御堂筋との交差点で、そこから先は国道2号となります。

そのちょっと手前。新御堂筋との交差点の北東角をちょっと入ったところに法清寺さんというお寺がございます。

裏通りの小さなお寺ですのですが、国道1号に沿って点在する歴史散歩の道しるべには「法清寺(かしく寺)」と案内がしてあります。

これはなんじゃいな、と前々から気になっておりまして訪ねてみると、ご門前にもやはり

「光智山 かしく 法清寺」。

なんでも断酒に霊験のあるお寺やそうでございます。

その由緒は、ご門の内にお祀りしてあります「かしく大明神」様のいわれにも詳しく記してございますが、こんなお話でございます。

寛延2年と申しますから西暦でいうところの1749年。北の新地で「かしく」という遊女がございましたが、落籍され天満・老松町にある人の妾となって住んでおりました。

ところが、この「かしく」さん、常日頃は気立てのよい女性だったそうですが、ちょっと酒乱の気味がございまして、それを見かねて意見をしたお兄さんと諍いの上、刃物三昧。

ついにこのお兄さんを殺めてしまうのであります。

はっと、我に返ったときは既に遅く、すぐに入牢。吟味の結果は引き回しの上、千日寺にて獄門と刑が定まります。
処刑のその日、かしくさんは、油揚げを一枚所望します。これは、食べるのではなく、その油を髪につけて、長谷川幸延さんの石碑せめてもの死出の旅路の身だしなみ、としたところから、その奥ゆかしさが評判となり、「八重霞浪花浜萩」という浄瑠璃に仕立てられて上演されたとのことです。

処刑があったのは3月18日、20日にはその外題の看板が掲げられ26日が初日だったと言いますから、事件後一週間でその戯曲がなったということになります。現代で言う「ワイドショー」ではありますが、それにしても早書きですねぇ。

また、かしくさん、自らの酒乱を大変悔やみまして、最期に臨んで

「悪酒を止め、酒に乱れぬ神になる」

とお誓いになったとかで、以後、かしくさんのお墓に詣でる人が跡を絶たないと申します。

このお寺では、かしくさんにちなんで「酔い(良い)守り」というお守りを下されるとか。

また、境内には、劇作家にして小説家の長谷川幸延さんの手になる「酒の咎 引き受け申しそろ かしく」という石碑がございます。
円頓時 この辺り、「寺町」でございまして、ぎょうさんお寺がございます。かしく寺を後にしまして、北へと歩いてまいりますと「円頓寺」というお寺に行きあたりますな。

これが、あの「鷺盗(と)り」で、あほが、鷺を取りに来るお寺。今はビルとラブホテルに埋もれたように建っておりますが、境内には大きな池があり、鷺がぎょうさんとまっていたというのですな。

それから、ちょっと東へ参りますと「太融寺」。

お寺に由緒によりますと、弘仁12年(西暦821年)に弘法大師が嵯峨天皇の勅願により、創建されたのだそうでございまして、嵯峨天皇の皇子源融(みなもとのとおる)公が、伽藍を建立されたのやそうです。

で、「融」の字を頂いて「太融寺」でございますよ…とおるちゃん!
太融寺
彦兵衛、高校生の砌、古文の先生が、専攻が源氏物語だったとかで、「光源氏」のモデルをいろいろ探しているが、この「源融」に違いない!と断言しておられました。授業の前後は忘れましたが、このお寺の前を通る度に、そんなことを思い出します。

境内には、淀殿のお墓があります。淀君と言い慣わされておりますが、「君」というのは、遊女に使う、あんまりええ意味や無い言葉らしいです。

で、「淀殿」。

その淀殿のお墓は、大坂城落城のあと、お城のちょっと東の方、鴫野にお堂を作ってお祀りしてあったのやそうですが、明治時代に練兵所を作るというので、こっちの方に移転させられたのだそうです。

太融寺は、第二次大戦の折に、空襲にあい、御本尊の千手観世音菩薩様こそご無事だったものの、お堂やなんかはすっくり灰燼に帰しまして、1960年(昭和35年)に再建されたのやそうでございます。

死後も何かと軍事(いくさごと)に翻弄される運命というのも、また、気の毒なような気がいたしますな。淀殿の墓
史実とは異なり、淀殿と豊臣秀頼公、真田幸村の知略で大坂城から抜け道を通って脱出、薩摩へ落ちのびたという伝説もございます。

「六文銭」もしくは「真田小僧」という噺がございまして、ちょっと知恵のはたらく長屋の子供が主人公。

子「お父ちゃん、真田幸村の六文銭って、どんなん」
父「一文銭が、三つずつ並んでるねん」
子「どんな風に?」
父「分からんか、こういう風に、三つずつ」(と、実際に並べる)
子「あ、なるほど・・・ほな、こうして…」(と、持って表に飛び出す)
父「おっと…また、持って行かれてしもた…おーい、それ、どないするねんん?」
子「焼き芋買うネン!」
父「あ、うちのがきも薩摩へ落ちた」

と、まぁ、難波戦記やら、真田幸村やら、いろいろ背景を知っていないと分からんオチではございます。

本日は、この辺で

あ、うちのがきも薩摩へ落ちた


浪花・上本町 御可笑拵処「東雲堂」 狐狸窟彦兵衛 謹製
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