羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶

東大寺のお水取りがすみますと、大阪には春が訪れるといわれます。

暑さ寒さも彼岸まで・・・。風ぬるみ、櫻のつぼみが膨らんでまいります。心も和む季節ではありますが、世の中には、花粉症や、黄砂の被害で苦しんでいらっしゃる方々も多いようで、町にも職場にも、マスクをした方々の姿が目立ちます。

不肖、狐狸窟彦兵衛、花粉にも中国産の砂埃にも負けることなく、上町台地をうろうろしております。やっぱりデリカシーに欠けるのでしょうかねぇ。

今回は、お彼岸にちなみまして、上町台地に散在する、文豪、文化人のお墓をお参りすることに致しました。

ま、こう、おいで、なされませ。

まずは、上町台地、玉造に鎮座まします玉造稲荷神社の境内。上方漫才の父といわれる、秋田實さんの功績を讃える「笑魂碑」というのが、ございます。

秋田さんは、玉造に生まれたそうで、また、以前にもご紹介しましたが、玉造界隈は戦前には、寄席や映画館はたくさんある歓楽街で、人気の出る前のエンタツ・アチャコなどが高座をつとめたゆかりの地でもあります。

碑の隣には、秋田實さんの辞世の歌

  渡り来て うき世の橋を眺むれば
    さても危うく過ぎしものかな

を刻んだ自然石の碑もあります。

玉造神社を出て、南へ長堀通を西に歩き、谷町筋を南にとことこ歩くと、中央区谷町8丁目のガソリンスタンドの北側に近松門左衛門さんのお墓がひっそりと立っています。入り口に案内板があります。

なんでも、 ここに「法妙寺」というお寺があったのを道路拡張工事で大東市に移転した際、このお墓だけは国の史跡指定を受け現地保存が義務づけられていたため、ここ残っているのやそうです。

いつも、お花が供えられていて、ご近所の方が大事にしておられるのが偲ばれます。

なんで、ガソリンスタンドのそばなんでしょうね。
やっぱり、代表作に油屋さんのお話があるからでしょうかねぇ。

近松さんのお墓から、今度は東へ戻り、上町筋に出て南へ、中央区上本町西2丁目の誓願寺さんに、井原西鶴さんのお墓があります。墓地の、一番奥の正面。「仙皓西鶴」と戒名が彫られて、なんとなく貫禄を感じる風情です。

すぐそばに

 鯛は花は見ぬ里もあり今日の月

の句碑があります。

同じ墓地に、懐徳堂を開いた儒学者中井甃庵さんとそのご一族のお墓もあります。「世間」を洒落のめした西鶴さんと、世間をいかに真面目に渡るかを追求した儒学者が同じ墓地に眠っているというのも、何かのご縁なのでしょうか。

上町筋を南、千日前通をまた東に戻って、谷町筋を渡ります。高津さんのちょっと手前、大阪市中央区中寺2丁目の常国寺には梶井基次郎さんのお墓があります。

特に、案内板などもなく、見つけるのに苦労しましたが、代表作「檸檬」にちなんで、今でもレモンをお供えする人があるようで、この日も二つお供えしてありました。

3月24日は檸檬忌だそうです。

千日前通を渡って、生国魂神社を尻目に殺し、下寺町の裏通りを南へ南へ、市天王寺区生玉町3丁目の青蓮寺さんに竹田出雲さんのお墓があります。この日は、門が閉まっていてお参りはかなわず。以前に、ちょっと覗いたときは。お墓は、現在、修繕中だそうです。

文楽人形を、一人遣いから三人遣いに改め、目や眉毛なんかを動くようにしたのも、竹田出雲さんだそうです。

なんといっても、赤穂義士を描いた「仮名手本忠臣蔵」は不朽の名作ですな。
というわけで、青蓮寺をあとに、谷町筋を渡ると大阪市天王寺区六万体町1丁目に、吉祥寺があります。塀に赤穂義肢の装束、黒と白のだんだら染めに塗り、門には浅野家の「違い鷹の羽」、大石家の「二つ巴」の紋を染め抜いた幕が張られています。

境内に入ると、大石内蔵助の像が座ってはります。

境内右手に、浅野家と義士の名を刻んだお墓があります。
このお寺は、浅野家ゆかりのお寺で、参勤交代の折には、必ずお殿様がお寄りになったとか。

義士のうち、謎の失踪を遂げたとも言われる寺坂吉右衛門が46士の遺髪、遺爪、鎖かたびら等に銀10両を添えて義士の冥福を祈る碑を建ててくれるようこの寺院に依頼したと伝えられているそうです。

義士の皆様にお別れを告げ、上町筋から坂道をたらたらたらと下りますと、下寺町。ずーーっと、お寺が並んでおります。この辺りは、坂が多く、源聖坂、口縄坂、遭坂・・・など上町七坂というそうですが、これはまた、ご案内するとして、

下寺町二丁目2 円成院(遊行寺)にございますのが、初代植村文楽軒のお墓。見上げるような碑の側面には、文楽関係者のお名前がたーくさん刻んでございます。

淡路島出身で、文化年間(19世紀初め)に大阪高津橋南詰(現国立文楽劇場の近く)に人形浄瑠璃の小屋を建て、その後、一座の名前「文楽漸」にちなんで、人形浄瑠璃を「文楽」と呼ぶようになったというのは、有名なお話でございますね。

円成寺から、ちょっと裏手に回りますと、なんと「清水寺」があって、「玉出の滝」というお滝がございます。

現在本堂などは改修中ですが、裏手の高台は、「舞台」になっていて、京都の清水寺によく似た風情になっております。

随分前に、松竹新喜劇で、京都の清水さんと、大阪の清水さんを間違うということろからも物語が始める、というお芝居を見ましたが、なんという題だったか、忘れしまいました。

さて、谷町筋にまた戻って、突き当たりが一心寺。

別にでぼちんは打ちません。

お参りを済ませて、南に抜け、天王寺公園の塀沿いに歩いて、谷町筋を渡り、ちょっと東に入ったところに竹本義太夫さんのお墓がある、 天王寺区大道1丁目の超願寺があります。

お墓は、境内に入って右側に、小さなお堂のようになった建物の中にあります。

義太夫節浄瑠璃の元祖で、作者に近松門左衛門を迎え「曽根崎心中」で、大当たりとりました。

義太夫の率いる竹本座は朝廷に召されて御前で義太夫節を披露するなど、当時の芸能界に君臨したそうです。

その後、竹田出雲に座主を譲って、隠退した、

と、お墓の傍らに「自由にお持ち帰りください}とおいてあった説明書に書いてありました。

超願寺の御門をを出て、ふと見ますと、四天王寺さんの南門が見えますので、やっぱり、お参りを致します。五重塔を見上げ、亀の池、引導鐘・・・と落語の天王寺詣りと反対回りに、西門の石の鳥居に抜けてまいりました。

お寺なのに、鳥居があるのは、昔から聖地の結界として、用いられたからだそうですが、高校の古典の先生に、

かつて、上町台地のすぐ下まで、海が迫っていて、人々はこの鳥居の場所から入日を拝み、西方浄土からの来迎を祈ったからだ、

と習ったのはとても記憶に残っています。

そういう訳で、お彼岸シリーズ、本日これまででございます。

仏説摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。舎利子。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。受・想・行・識亦復如是。舎利子。是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。是故空中、無色、無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法。無眼界、乃至、無意識界。無無明、亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。無苦・集・滅・道。無智亦無得。以無所得故、菩提薩?、依般若波羅蜜多故、心無?礙、無?礙故、無有恐怖、遠離一切顛倒夢想、究竟涅槃。三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。故知、般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、是無等等呪、能除一切苦、真実不虚。故説、般若波羅蜜多呪。
即説呪曰、羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶。般若心経

浪花・上本町 御可笑拵処「東雲堂」 狐狸窟彦兵衛 謹製
copy right (C) KORIKUTSU HIKOBEE 2009
不許複製