羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶 |
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まずは、上町台地、玉造に鎮座まします玉造稲荷神社の境内。上方漫才の父といわれる、秋田實さんの功績を讃える「笑魂碑」というのが、ございます。 |
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玉造神社を出て、南へ長堀通を西に歩き、谷町筋を南にとことこ歩くと、中央区谷町8丁目のガソリンスタンドの北側に近松門左衛門さんのお墓がひっそりと立っています。入り口に案内板があります。 |
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近松さんのお墓から、今度は東へ戻り、上町筋に出て南へ、中央区上本町西2丁目の誓願寺さんに、井原西鶴さんのお墓があります。墓地の、一番奥の正面。「仙皓西鶴」と戒名が彫られて、なんとなく貫禄を感じる風情です。 すぐそばに 鯛は花は見ぬ里もあり今日の月 の句碑があります。 同じ墓地に、懐徳堂を開いた儒学者中井甃庵さんとそのご一族のお墓もあります。「世間」を洒落のめした西鶴さんと、世間をいかに真面目に渡るかを追求した儒学者が同じ墓地に眠っているというのも、何かのご縁なのでしょうか。 |
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上町筋を南、千日前通をまた東に戻って、谷町筋を渡ります。高津さんのちょっと手前、大阪市中央区中寺2丁目の常国寺には梶井基次郎さんのお墓があります。 |
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千日前通を渡って、生国魂神社を尻目に殺し、下寺町の裏通りを南へ南へ、市天王寺区生玉町3丁目の青蓮寺さんに竹田出雲さんのお墓があります。この日は、門が閉まっていてお参りはかなわず。以前に、ちょっと覗いたときは。お墓は、現在、修繕中だそうです。 文楽人形を、一人遣いから三人遣いに改め、目や眉毛なんかを動くようにしたのも、竹田出雲さんだそうです。 なんといっても、赤穂義士を描いた「仮名手本忠臣蔵」は不朽の名作ですな。 |
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というわけで、青蓮寺をあとに、谷町筋を渡ると大阪市天王寺区六万体町1丁目に、吉祥寺があります。塀に赤穂義肢の装束、黒と白のだんだら染めに塗り、門には浅野家の「違い鷹の羽」、大石家の「二つ巴」の紋を染め抜いた幕が張られています。 境内に入ると、大石内蔵助の像が座ってはります。 境内右手に、浅野家と義士の名を刻んだお墓があります。 このお寺は、浅野家ゆかりのお寺で、参勤交代の折には、必ずお殿様がお寄りになったとか。 義士のうち、謎の失踪を遂げたとも言われる寺坂吉右衛門が46士の遺髪、遺爪、鎖かたびら等に銀10両を添えて義士の冥福を祈る碑を建ててくれるようこの寺院に依頼したと伝えられているそうです。 |
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義士の皆様にお別れを告げ、上町筋から坂道をたらたらたらと下りますと、下寺町。ずーーっと、お寺が並んでおります。この辺りは、坂が多く、源聖坂、口縄坂、遭坂・・・など上町七坂というそうですが、これはまた、ご案内するとして、 下寺町二丁目2 円成院(遊行寺)にございますのが、初代植村文楽軒のお墓。見上げるような碑の側面には、文楽関係者のお名前がたーくさん刻んでございます。 淡路島出身で、文化年間(19世紀初め)に大阪高津橋南詰(現国立文楽劇場の近く)に人形浄瑠璃の小屋を建て、その後、一座の名前「文楽漸」にちなんで、人形浄瑠璃を「文楽」と呼ぶようになったというのは、有名なお話でございますね。 |
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円成寺から、ちょっと裏手に回りますと、なんと「清水寺」があって、「玉出の滝」というお滝がございます。 |
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さて、谷町筋にまた戻って、突き当たりが一心寺。 |
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超願寺の御門をを出て、ふと見ますと、四天王寺さんの南門が見えますので、やっぱり、お参りを致します。五重塔を見上げ、亀の池、引導鐘・・・と落語の天王寺詣りと反対回りに、西門の石の鳥居に抜けてまいりました。 |
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仏説摩訶般若波羅蜜多心経 観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。舎利子。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。受・想・行・識亦復如是。舎利子。是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。是故空中、無色、無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法。無眼界、乃至、無意識界。無無明、亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。無苦・集・滅・道。無智亦無得。以無所得故、菩提薩?、依般若波羅蜜多故、心無?礙、無?礙故、無有恐怖、遠離一切顛倒夢想、究竟涅槃。三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。故知、般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、是無等等呪、能除一切苦、真実不虚。故説、般若波羅蜜多呪。 即説呪曰、羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶。般若心経 |