源蔵町の辺りの町家 |
初詣に天満の天神さんにお参りしましたので、そのご近所の西天満界隈を歩いてみましょう。 丼池の甚兵衛さんとこから、まっすぐ北へ、北浜ででぼちんを打って、左に曲がると淀屋橋。大江橋、蜆橋と…と北へ参りますのは能勢街道で、おなじみ池田の猪買い、牛ほめの冒頭ですが、右に曲がるのんが、「米揚げ笊(いかき)」で、ございますね。「笊」と書いて、大阪では「いかき」と読みます。 右に曲がって、栴檀の木橋は渡らず、難波橋を渡ってすぐの辺りが源蔵町。源蔵町の笊屋重兵衛さんところの「売り子」として紹介されていくお話です。 |
現在は西天満1丁目というような地名になっておりますが、実際に歩いてみますと、古くからの蔵のあるようなお家もちらほらと残っておりまして、「源蔵ビル」てな、古名を冠したビルも現存しております。 今は高速道路が走っております堀川に「樽屋橋」という橋の「跡」がありまして、このあたりは、材木屋さんがたくさんあって、また、樽やなんかの木製日用品を扱ったお店が多かったと申しますから、笊屋さんもまた、あったんやもしれまへんな。 お米は、現在は、ボールとかあるいは、炊飯器の内がまででもお米を研いで(米を「研ぐ」というのもまた、最近は使わないことばかもしれません)炊きますが、さらに最近は、無洗米と申しまして、そのまま炊けるというようなことになっておりますが…。 ま、それはさておき、お水の中で、米を研ぐと、ぬかの成分がお米に吸収されてしまい、おいしくなくなるのやそうでございます。 そこで、縁の少し高い笊で、適量のお水を流しながら丁寧に研いで、洗い上げた後に水を切り、お釜に移して炊く、というようなことをいたしますと、大変おいしく炊けた、そうでございまして。このときに使うのが、「米を揚げる米揚げ笊」でございます。 |
と、解説をいたしましたが、実際に、こういう笊を使ったことはおろか、見たこともございません。 重兵衛さんとこではございませんが、笊を扱っている竹製品の会社の広告のページがございましたので、ご参考にご紹介しておきましょう。 |
さて、この樽屋橋ですが、ここから東を見ますと、天満の天神さんの西の鳥居が見えます。ちょうど参道になっております。 そこで、ここから西へと向かいますと、老松町。現在は、骨董品、美術品を扱う道具屋はんが軒を連ねております。 ただし、抜けない刀とか、首の抜けるお雛さんのようなものはございません。れっきとした、道具屋はんばっかしです。 念のため。 この通りを抜けたところに、「天満宮 是レヨリ東七丁」と書いた石碑がありまして、これが参道の入り口であったことを示しております。ただし、この碑は明治36年に約100m西の御堂筋に立てられたのを、新御堂筋の開通などで地形が変わったので、昭和57年にこの地に移したそうですので、実際は「是ヨリ東六丁」ほど、ということになりましょうか。(1丁は約100mです) 「源蔵町」の地名の由来ですが、当地に区役所が立てた案内板には「明らかではない」「居住者に由来するものと思われる」と記してあります。 でも、源蔵町の隣が「老松町」、ちょっと北には「紅梅町」「梅が枝町」…ずっと西に行くと「桜橋」と並んでいるのですね。 「松」「梅」「桜」は、菅原伝授手習鑑に出てくる三兄弟、松王丸、梅王丸、桜丸を連想させますのです。 |
有名な寺子屋の段。菅丞相の若君、菅秀才の身代わりに我が子を犠牲にするのが松王丸。 その寺子屋の主こそ、誰あろう武部源蔵なる人物なのでございますね。老松町のすぐそばにある「源蔵町」…これは、何か関係あるのかもしれません。 お話は、菅秀才を殺して首を差し出せという悪者、藤原時平に対し、預かった主君の若君を殺す訳にいかないから、今日寺子屋に入ってきた、ちょっと育ちのよさそうな子を身代りにする、という、今風の倫理ではほぼ理解不能な「忠義」のお話。 その無茶をやらねばならぬ源蔵さんのつぶやきが 「せまじきものは宮仕え」 で、ございます。また、「軒付け」では、浄瑠璃お稽古の一行が、「かゝるところへ春藤玄蕃、首見る役は松王丸、病苦を助くる駕篭乗物、門口にぃ・・・かぁ、しぃ、やぁ、御用の方は三軒隣近藤まで」というておりますのが、寺子屋の段でございますね。 さて、この石碑を見て、南にちょっと行けば大江橋。 御堂筋を渡りますと、堂島。 米相場の立ったところでございます。 右の阿呆、この辺へやって参りまして、 「おおまめ、ちゅうまめ、こまめに、米を揚げる、米揚げ笊はどうでおます」 と、進展してまいりますが……。 本日は、この辺りにて |
梅は飛び桜は枯るる世の中に 松ばかりこそつれなかりけれ 菅原道真 |
※東風吹かば、の歌に歌われた梅が菅公を慕って大宰府に飛んで行きますが、歌に歌われなかった桜は、残念がって枯れてしまいます。それを聞いた道真さん「松はつれないな」と歌ったら、今度は、松が大宰府に生えた、ちゅうお話もあるようですな。このお歌も、浄瑠璃に取り入れられております。 |