眉のごと 雲居に見ゆる 阿波の山
懸けて漕ぐ舟 泊り知らずも

船王(=ふねのおおきみ 万葉集巻6 998)

逍遥記の更新が長らく滞ってしまいました。
と、申しますのも、御存知この夏の猛暑、酷暑、灼熱地獄で、「逍遥」の気力が失せておりましたことも一因ではございますが、ちょっと御縁を頂きまして、お休みごとに播磨の国、阿波の国と巡業の旅にでておりましたこともまたその理由なのでございます。

という訳で、夏から秋にかけて彼の地を訪ないまして、話のタネになりそうな、狸伝説の地を訪ねあるいてまいりました。

今回は、上方逍遥記の番外編「阿波の国彷徨記」で、ございます。


眉山は、徳島市の観光名所でございまして、標高279m。徳島駅からまっすぐメイン道路が通っておりまして麓にある阿波尾踊り会館からロープウエイで登りますと、市街地一望の景観が望めます、

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徳島 金毘羅神社ロープウエイでまた、麓に降りて参りまして、南に20分ほど歩いたところに、山へ向かって、石段がずーーと登っております。これが徳島の金毘羅さんです。

大きな石の鳥居の左手には高さ10.24mという大きな灯籠がございまして、なんでも天保年間のもんで、日本一の石灯籠やそうです。

このお宮さんが鎮座ましますのが「勢見山(せいみさん)」。音読みも訓読みも混ざっておりますが、なんと源平合戦の折、屋島に向かう途中に源義経が「軍勢を見た」場所に因むんでございますね。

そんなことに感心しながら、この石段ととん、とん、とん、とん・・・・とん、とん、とん、と。登ってい参りますと、正面は本殿なのですが、左手に絵馬堂のような建物がありまして、小さな祠がいくつかまつってございます。

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これこそ、名高い「お四つ様」で、ございますね。

どう名高いかと言いますと

昔からこの辺に棲んで、人々に憑いて悩ませた雌の「白狸」やそうでございますよ。

近くに「秋田町」という歓楽街がございましてね。人を騙す白い女狸やから、遊郭の味方に違いなかろうというので、その道の方々の信仰が厚いんやそうです。

ほで、白粉やなんかを奉納するとご利益がある…と、信じられておるそうでございますよ。

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石段を降りまして、山裾をくりっと北側に回っていきますと、お寺や神社が眉山の麓にずーーーっと並んでおります。

その社寺の一つが八幡神社。

その隣にお稲荷さんが祀ってございます。

ん?・・・お稲荷さんでございますよ。

徳島県には1300以上の神社があるのに、お稲荷さんを祀っているのは数えるほどしかないとか・・・。日本妖怪研究所(大阪市)の亀井澄夫所長さんに教えて頂いたのですが、ここに一つ。
それでは、数えておきましょう。

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 と、階段を上って参りますと、確かにお稲荷さんの祠はありますが、その隣にお狸様がぎょうさん並んでおられます。

右からご紹介しましょう。

ほうろく大明神
 頭の恰好がほうろく頭巾をかぶったようだから。緒願成就なかでも交通安全に霊験あらたか。

八兵衛大明神
 近くの「按摩小路」に祀られていたのを都市計画で居場所がなくなり、ここに合祀。歯痛の治療に霊験あらたか。

六兵衛大明神
 江戸時代から新町商店街に棲んでいたが、時代の変遷とともにここに遷座なさったとか。昔は「西の侍大将」として名を馳せたが、今は商売繁盛の神さんとして祀られております。

大岩大明神
ホテル、料亭「伊佐久」の大岩の下に棲んでいたので、この名前があるそうな。「伊佐久」の撤去で居場所がなくなって、ここに合祀。

と、いうような解説の札が立っております。

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さだまさしの小説「眉山」に登場する、滝の茶屋。

眉山の山中にある愛宕山への参道で、右手に薬師観音様がいらっしゃいます。山手からずっと細い川が滝を連ねて流れておりまして、お店の中庭にも滝がございます。

ここで、掌よりちょっと小さいくらいの、かわいらしい焼き餅「滝の焼き餅」を売っておられますな。

お店には別嬪さの女将さんとさだまさしさんとのツーショットの写真なんかがかざってあります。

「あのーー、この辺に狸の伝説の祠がありませんか?」
と聞いたら、ちょっと怪訝は顔をされましたが、
 「そういえば、この前の路をずっと広い道路に出たところ、角のお寺がお睦さんいう狸を祀ってある」
と、教えて頂きました。

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 ということで、これが、お睦大明神。「お」も漢字で「於睦さま」でございます。

これまで見て参りました、「祠」とは異なり、本格的な「お堂」を備えておられます。

ところが、そのお堂の前には、「御睦さま ありのまま」「御睦さま御縁起」などの小冊子が並んでおりまして、なんと

「お睦さまは狸ではありません」


と、書いてあるのでございます。

その昔「おむつさま」という高貴なお姫様が、人々をおいつくしみになり、なくなってからも、その徳をたたえて多くの人がゆかりの地への御参詣をしていたのだそうです。江戸時代の初めに、その当時も、おむつ姫を称えて御参詣する人の多さに驚かれた高僧が、そのゆかりの地に「妙長寺」というお寺を創建され、その境内に「おむつさま」をお祀りしたでした。

さらに時が移って、明治時代。近代化、文明開化の名のもとに、色々な文化破壊活動が行われますが、その一つが「神仏分離」でございますね。
長いこと、日本には、神社にお寺が同居し、お寺に神さんを祀る、ということをやってましたが、「西欧諸国にそんな国はない」というので、お寺と神社は一緒の場所におったらならん、てなことになりましたんで。

そら、西欧諸国には、「神」は唯一絶対神だけでございまから、「そんな国はない」のでございますよ。

ま、そんな訳で、お寺に祀っていた神様も、どこかに移すか破却しなくてはならない…おむつ様の運命やいかに・・・。というところで、当時のご住職が苦し紛れに

「え、あ、あれは、神様ではございません。土地のものが、狸を祀っておりまして・・・ま、土地のモンのやっていることでございますので、どうぞ、お目こぼしを」

と、弁明して、於睦大明神を残すことができた。というような縁起があるそうです。
神様やなしに、「狸」です…というのは、ちょっとおかわいそうな気も致しますが、それやこれやで、今に於睦大明神への信仰がこのように伝えられているのでございますそうです。

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お睦さんのお堂の前をさらに北へ北へととってまいりますと、小川がございまして、これを渡らずに左手に曲がります。

眉山の北麓に道が続いております。

そのあたりにございます臨江寺の入口にありますのが「お松大明神」

美人に化けるのが得意やったそうです。

近くを通りかかった人が、ちょうどお松さんが、女の人に化けているところを見つけ、後をつけていくと、一軒の家に入ったので、「どうなっているのか」と戸の隙間からのぞいていると「そんなところで何をしている」と咎めらっれたそうです。

ふと気付くと、家ではなく、石垣の隙間やった・・・。

この話は、落語「饅頭怖い」の前半部分に狐に化かされた「怖い話」とよくにています。

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南新町の松平大明神は、新町橋商店街の裏通りにあります。

なんでも、狸合戦では金長狸方の旗頭として活躍なさったということです。

商売繁盛に霊験あらたかで、祠の中には狸の置物は鎮座し、前に今あげられたばかりという感じの新しい油揚げが備えてあり、地元のみなさんに信仰されている様子が伺えます。

すぐ隣に「狸庵(りあん)」という喫茶店があって、入ってみると、地元の常連さんと思しき人たちが、次々とやってきてモーニングコーヒーを楽しんでおられました。

「狸庵というお店の名前は、隣の祠にちなんだのですか」と、コーヒーを点てていた女将さんに聴いてみましたが、「はあ、みなさんそうおっしゃるのですがねえ」と、にこにこ。

「あんさんのお店だっしゃろ?」と突っ込みたかったのですが、カウンターの常連さんが、一斉にこちらを見たので、アウエーの不利を覚って、沈黙しました。

 すると、ひと組の老夫婦の旦那さんのほうが、「あぁ、あんた、昨日と商店街の寄席で狸の話してた人やな」と笑いかけてくれました。

「あ、はいはい、その通りです」
「なんで、この志んこ橋の狸の話が出ぇへんのかな、と思てましたんやで。ここでは、地元の親王が厚くて、秋には総出でお祭をしますんやで」
「あ、そうですか。祠があるのには気づいていたのですが、まだお参りしたなかったので、お話しはしなかったのです」
などと言い訳をして、お店を後にしました。コーヒーは400円で、おいしかったです。

 こちらは、徳島城の北東にかかる助任橋(すけとうばし)です。ここは、昔は、城山に棲む狸が出て来ては悪さをしたとか。

城山は、向こうに見える、徳島城のあったお山ですな。

蜂須賀小六の子、家政が、当時四国を支配していた長宗我部氏を破って、平定した阿波の国を豊臣秀吉から賜って入封。この地に新たに築城したそうです。

この城は、吉野川下流のデルタ地帯にあって、周囲を吉野川の支流で囲まれ、天然の「濠」として機能しているようです。また、水運の利便にもよかったのでしょうから、もしかしたら、木津川の水運を担っていた「川並衆」を率いた一党の記憶がこの地を本拠地に定めさせたのかもしれません。

この橋の少し南にあるお城の門が「数寄屋門」。一名を「不明門」というたそうでして、お城の鬼門にあたり、凶事のあった時のみに開く門だったそうです。ま、そういう場所なら、人通りもあんまり多くはなかったでしょうし、狸も出たのかもしれませんな。

小松島

徳島からJR四国牟岐線に乗って南へ30分ほどで南小松島駅に着きます。
小松島は、源平合戦のころ、大阪の渡辺の津を嵐をついて出港いたしました、源義経が上陸(漂着?)した場所でございます。

ここから、山越えで駆け抜けて、屋島に駐屯しておりました平家の軍勢を撃破して、西海へと追い落としていくのございます。

また、狸合戦の一方の大将、金長狸が棲んでいたのもこの地でございますね。

狸合戦というのは、その金長狸が、四国の総大将の六右衛門狸のところで修行をしておりました。やがて「そろそろおいとまを」と申し出ましたが、六右衛門が、金長の器量を見込んでもう少しここにいるよう、また、娘の婿になどと引きとめました。それでも金長が、かつて命を助けてくれた大和屋という染物屋さんに義理があると受け入れずに、どうしても帰るというのですね。
それを知って、六右衛門のとこの若い衆が「せっかく親分が見込んでおられるのにけしからん!だいたい、あんなに固辞するのは、親分に反抗心があるからに違いない」とささやきます。

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六右衛門も、かわいさ余って憎さが百倍。・・・というか、もともと猜疑心が強かったのでしょう「それなら、殺してしまえ」ということになったんやそうです。
六右衛門が金長に夜襲を掛けますが、命からがら難を逃れた金長狸。今度は自分の子分を集めて決戦に及びます。

これが、世に言う狸合戦の伝説でございます。

小松島市内には、金長狸を祀りました「正一位金長大明神」という神社がございます。最寄駅はJR南小松島駅。駅前のタクシー乗り場で「正一位金長大明神という神社がありますか?」と告げると、運転手さんは、ちょっと不機嫌な顔で「すぐ近くですよ」と、じゃまくさそうに車を走らせました。

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確かにワンメーターで着きましたが、そこそこの距離はありました。

「正一位」の位の割には小じんまりしたお社ですね。

「正一位稲荷大明神」の伏見稲荷とは大分規模が違うようです。

そのお社から駅にも戻る途中に「狸ひろば」とういう公園があります。

高さ5mの狸の銅像としては世界一の金長狸が佇立しております。

背後に滝を背負っておりまして、この滝は銅像の前で「ぱちぱち」と手を打つとどっと流れだすという仕掛けつきです。
狸の像としては、世界一・・・て、よそのどの国が狸の銅像なんぞを建てるのでしょうね。

たぬき広場の近所には金長だぬき郵便局があります。

ここの切手はみんな木の葉のデザインです。・・・嘘!・・・日曜だったので、前を通っただけで、詳細は分かりません。

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参考文献 笠井新也「阿波の狸の話」(中公新社)
佐藤泰伸「御睦さま縁起」
同「御睦さまありのまま」
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浪花・上本町 御可笑拵処「東雲堂」 狐狸窟彦兵衛 謹製
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