No.11 「あみだがいけと言いました」

本日は、ちょっと西の方に足を伸ばしまして、阿弥陀池から堀江あたりへと歩みを進めて参ります。
さぁ、こう、おいでなされませ。
 
 地下鉄西長堀駅の南東に通称「阿弥陀池」という尼寺があります。
 正式には蓮池山智善院和光寺。まぁ、和光寺でございますね。 由緒をたどりますと、仏教が大陸からもたらされた欽明天皇の13年(538年)、「ありがたい教えや」と積極的に受け入れた蘇我氏と、「よその国の神さん祀ったらろくなことないでぇ」と反発した物部氏の崇仏廃仏論争というのがおこりますが、その折、百済から贈られた阿弥陀如来像を物部氏が、「こんなもんいらんわい」と、「難波堀江」に沈めた、という日本書紀の記述にさかのぼるのやそうでございます。

 それを後の推古天皇の時代になって信濃の本多善光という人が拾い上げて、善光寺のご本尊とならはったんですな。 後に、この阿弥陀如来が沈んでいたのが、この池であると言い伝えられ、その池が阿弥陀如来出現の地「阿弥陀池」と言われておりました。江戸時代になって、善光寺の出開帳が四天王寺さんで行われたのをきっかけに、阿弥陀池にお堂が建てられたのが和光寺の起こりやそうでございます。

堀江の地名は、万葉集の大伴家持の歌にも登場しますが、これは、大川辺りのことやそうでして、この池のあった辺りは、当時はまだ海やなかったかとも思うのですが・・・、ま、それはさておき。

 さて、その和光寺が登場しますのが、落語「あみだ池」でございます。

 のんきな男が、物知りのおやっさんに「新聞を読まないから世の中のことが分からん」と偉そうに言われて、和光寺に押し入ったピストル強盗の話を聞きます。
 強盗を前に庵主の尼さん少しも騒がず
「わたしの夫、山本大尉は過ぎし日露の戦いに、この乳の下、心臓を一発のもと撃ち抜かれて名誉の戦死を遂げられた。同じ死ぬなら夫とおんなじ所を撃たれて死にたい。さぁ、誤たずここを撃て」
と乳の下を指した・・・ という一件。

実は強盗が、山本大尉の部下で、自らの罪を深く反省するという。

庵主「お前一人の了見ではあるまい。誰かに行けと言われたのであろう」
強盗「へぇ、あみだがいけと言いました」

この噺は、明治40年代に桂文屋という人が作った「新作」でございます。
「日露戦争」「ピストル強盗」「新聞」なんていうのも時代を象徴するものだったのでございましょうね。

ちなみに強盗がいう「あみだがいけと言いました」は、オチではありません。 噺はまだ、半分くらいなんですが、初演の時、前座が間違ごうて、太鼓を叩いてしまい、高座から「まだ、続きがあるのや」と文屋さんが叫んだというエピソードが伝わっております。

和光寺の境内には大きな池がございまして、これが「阿弥陀池」。ぐるーっと回りはお墓が取り囲んでおりまして、池の真ん中に宝塔「放光閣」がございます。
一帯は、過ぎし大東亜戦争の折、大阪大空襲で焼け野原になったところでございますから、古い本堂やなんかも焼失。戦後に再建された本堂やみな鉄筋コンクリート造りでございます.。

さて、和光寺を出ましてさて、和光寺を出まして南へ、1kmほどでしょうか。道頓堀川を渡って、地下鉄桜川駅も超えて、特にこれという目印も無い町の中に、赤手拭稲荷が鎮座してございます。

ご存知ですか?赤手拭稲荷・・・。

「ぞろぞろ」という噺がございまして、この舞台が赤手拭稲荷でございます。
このお稲荷さんの前に店を出している貧しい荒物屋の親父、嫁はんに言われて、お稲荷さんに願掛けをします。

帰ってくると、「草鞋を1足」というお客が来た。「おや、早速ご利益が・・・」と、最後の1足を売ってしまいます。ところが、

次のお客も「草鞋を1足」。
親父「今、最後の1足が売り切れてしまいました」
客「そんなら、そこにぶら下がっているのは、草鞋と違うのか?」
親父「あれ、これは、失礼しました。まだ、残っておったようです」
・・・次の客も「草鞋を」「今売れました」「そこにぶら下がっているのは?」
「あれ?」・・・と、売っても売っても草鞋が「ぞろぞろ」っと出てくる。それが評判になって大繁盛となります。

その様子を見ていた向かいの床屋。「うちもあの親父と同じご利益を・・・」と念じますと・・・。

という噺です。

さて、なんで赤い手拭なんでございましょうねぇ。

桂米朝師の「米朝ばなし 上方落語地図」には、宮司さんのお話として、昔近くに船着場があり、祠の周囲の松の木に船頭の手拭が干してあった。この労働の汗と垢にまみれた手拭が何より「安全のしるし」としてお守りになった。垢のついた手拭が転じて赤い手拭になった、といような謂れが記されております。

また、一説に、

いつも狐に荷物を盗まれてしまう、堺の魚屋、稲荷さんに赤い手拭を献じて「これ以上、狐に、荷物を取られない様に」と祈願したことから始まった。

というのもあるそうです。

ところで、お社の住所は、浪速区稲荷2丁目6番

「稲荷」という町名は、このお稲荷さんなんでしょうけれど、なんで2丁目6番てな、遠慮したところ番地なんでしょうね。

疑問は尽きませんが、本日はこれまで。

舟競ふ、堀江の川の、水際に、来居つつ鳴くは、都鳥かも

大伴家持