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No.11 「あみだがいけと言いました」
本日は、ちょっと西の方に足を伸ばしまして、阿弥陀池から堀江あたりへと歩みを進めて参ります。 |
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さて、その和光寺が登場しますのが、落語「あみだ池」でございます。 |
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実は強盗が、山本大尉の部下で、自らの罪を深く反省するという。 庵主「お前一人の了見ではあるまい。誰かに行けと言われたのであろう」 |
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この噺は、明治40年代に桂文屋という人が作った「新作」でございます。 和光寺の境内には大きな池がございまして、これが「阿弥陀池」。ぐるーっと回りはお墓が取り囲んでおりまして、池の真ん中に宝塔「放光閣」がございます。 |
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さて、和光寺を出ましてさて、和光寺を出まして南へ、1kmほどでしょうか。道頓堀川を渡って、地下鉄桜川駅も超えて、特にこれという目印も無い町の中に、赤手拭稲荷が鎮座してございます。
ご存知ですか?赤手拭稲荷・・・。 |
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帰ってくると、「草鞋を1足」というお客が来た。「おや、早速ご利益が・・・」と、最後の1足を売ってしまいます。ところが、 次のお客も「草鞋を1足」。 親父「今、最後の1足が売り切れてしまいました」 客「そんなら、そこにぶら下がっているのは、草鞋と違うのか?」 親父「あれ、これは、失礼しました。まだ、残っておったようです」 ・・・次の客も「草鞋を」「今売れました」「そこにぶら下がっているのは?」 「あれ?」・・・と、売っても売っても草鞋が「ぞろぞろ」っと出てくる。それが評判になって大繁盛となります。 その様子を見ていた向かいの床屋。「うちもあの親父と同じご利益を・・・」と念じますと・・・。 という噺です。 |
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さて、なんで赤い手拭なんでございましょうねぇ。
桂米朝師の「米朝ばなし 上方落語地図」には、宮司さんのお話として、昔近くに船着場があり、祠の周囲の松の木に船頭の手拭が干してあった。この労働の汗と垢にまみれた手拭が何より「安全のしるし」としてお守りになった。垢のついた手拭が転じて赤い手拭になった、といような謂れが記されております。 また、一説に、 |
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ところで、お社の住所は、浪速区稲荷2丁目6番
「稲荷」という町名は、このお稲荷さんなんでしょうけれど、なんで2丁目6番てな、遠慮したところ番地なんでしょうね。 疑問は尽きませんが、本日はこれまで。 舟競ふ、堀江の川の、水際に、来居つつ鳴くは、都鳥かも 大伴家持 |