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ようこそ湖南のホームページへ‼ 私は妻・雌猫(19、雉虎)と都市郊外で暮らす高齢者です。退職後、書類・記録の整理の傍ら、読書、クイズ や囲碁観戦しています。外出は主に病院かスパ&フィットネス通いで、遠出は年1,2回の温泉旅行だけ。 趣味の映画観賞も少なくなりました。此処に過去の記録の一端を披露しますのでご覧頂ければ幸いです。 【ホームページ開設】 2003年 5月 11日
「南涯館」裏門と 高塀 「南涯館」市民公開コンサート 23/04/25更新
《湖南のルーツ》
◇初代 武之介::1550年,信玄の家来として深志城攻略に参戦(現在地に居を構えた)。61年,川中島合戦で武勲を立てた。
・・・・・ 300年ばかり時が流れ、徳川幕府も終焉に近く、再び乱世に入る・・・・・ ◇九代 友七:庶民銀行を創立し繁盛したという。また母屋建替を計画、木曽から建材を十年掛りで集めたが志半ばで病没。 ◇十代 伍八郎:先代友七の遺志を継ぎ、1857年(安政4年)に本棟造りの母屋を木曽の宮大工城取直四郎の手で上棟した。 ◇十一代 新八郎:坪庭の築山の樋口から流れ落ちる水を眺めながら句を詠み、日がな盆栽いじりをする風流人であった。 ◇十二代 伍一郎:若妻を亡くし、また事故で足を傷めた為家業を諦め、両親、長男、幼子二人を残し上京。官吏の職を得ると 郷里から後妻を迎え幼子を引取った。晩年、駿河台で金貸を営み、豊かに暮らした(上野の正慶寺墓地に眠る)。
◇十三代 南涯:若い頃は句を詠み文学を語るロマンチストだったが、酒好きと子沢山の為家計は苦しく、耐えられなくなると 槍・兜等の家宝を切売りし、昭和恐慌時には山門を家族の反対を押切って近隣の資産家に200円(今の約35万円)で売却、 高塀も処分。だが子煩悩で末息子を可愛がり祭や茸採り等に連れ廻し、また子の教育にも熱心だった。 妻は繭から糸繰り・ 機織・布染・仕立を一人で行う程の働き者であった。また蕎麦打ち上手で、一見客には手打ち蕎麦を振舞い、喜ばれた。
◇十四代 南涯子:満洲で教職中に徴兵,仏印で終戦。復員し会社勤め後、広告会社創業。蓄財の一部で生家の茅屋修善。 板屋根を 銅葺、濡縁を廊下に替え洋式トイレ新設。山門・高塀 復元。倉庫・植栽整備。改装した家屋敷を貸出し広間・座敷 でTV・映画のロケが行われた。これは南涯子にとって”人生の褒美”になった。晩年は俳句を詠み句集を出版するなど悠々 自適の生活だったが、 妻に先立たれた独り身の寂しさを隠せなかった。 南涯子 吟詠 くぐり戸は 五寸と開かず 寒の明け
◇十五代 M K: 先代 一周期法要で当主宣言。'12年、母屋を十三代に因み「南涯館」と命名、その名を山門扁額に刻む。 同年夏,「南涯館」公開記念演奏会開催。'17年、先代の念願叶い「南涯館」は国登録有形文化財に認定された。
【南涯館の間取と山門】 注: 茶色部は現状を示す。 平屋(一部二階)、建坪:80坪.。板屋根(銅葺)。母屋 東「くぐり戸」を潜ると「つきや」。左:階段、右:納屋。正面上ると 「下おえ」(板間)。 その奥:台所・食堂。 又その奥(西):家族用トイレ・浴室・納戸。 南北に「上おえ」(当主の間)・「中おえ」(板間,.囲炉裏)・「下おえ」。 東西に「上座敷 」(床の間)・「上おえ」・「小座敷」。この三部屋南:3尺 「濡縁」(廊下)。東端に手水場(客用トイレ)。「濡縁」 の外:坪庭。 「中おえ」東:「下座敷 」、西:「仏間」(階段)・「居間」(女・子供部屋)。「下座敷」東外: 「式台」 (板間,来客入口)。手前に老松と飾石。 母屋正面右に「表門」、手前に物置小屋(多目的倉庫)。 「高塀」と「山門」は屋敷南側の境界に沿って敷設。「山門」は屋根付、扉は両 開き扉2枚と「くぐり戸」から成る。門「くぐり戸」を潜ると左 ;高野槇・松等植わる坪庭、右:土蔵(駐車場)・菜園(植栽)。屋敷面積≒800坪。
〈湖南の気まぐれ日記〉2002〜2022年
【02/02/23】山門新築記念に兄(81);句集贈呈。”囲炉裏火や二つの陰の一つ消ゆ” 【02/09/01】八尾「風の盆」観光。帰り:白馬一泊、善光寺、小布施へ 【02/10/25】中村胤君:三越P就任祝い,高友集う(西麻布Sクラブ) 【03/06/21】「戦場のピアニスト」新宿シネマ館で鑑賞 。ワルシャワ出張中の悲劇思い出す
【03/07/01】『19世紀独逸文学ー愛と追憶の短章』翻訳脱稿 【05/09/20】聖路加國際病院 にて前立腺がん摘出手術
【06/03/10】『白馬の騎士』(T.シュトルム)翻訳脱稿
【07/11/22】昼神温泉・香嵐渓 一泊バス旅行。 【09/01/10】『ゲーテとの談話』(J.エッカーマン)翻訳脱稿 【09/10/15】兄(88)見舞う。姪と朝日村i「もえぎ野」 蕎麦店へ 【10/07/03】奈良観光:東大寺、春日大社 【11/08/19】兄死去(90):会社創業、俳人として足跡残す 【11/10/13】タンメン会:乃木神社、根津美術館散策、青山C宴会 【12/10/30】タンメン会: 立野、港が見える丘公園散、横浜C宴会 【12/12/17】神戸「ルミナリエ」夜景見物(尼崎出張時、H.大倉泊) 【13/03/17】日蓮ゆかりの誕生寺等へ 日帰りバス旅
【13/06/23】「南涯館」
公開記念演奏会
【15/12/07】野手教授「移動及び速度論」編集DVD版完成 【15/12/09】野良猫(茶虎,雄)保護。チャーと命名 【16/04/05】タンメン会:桜花爛漫の爛漫の小田原城散策と宴会 【16/11/11】弥彦神社・岩室温泉・:紅葉狩の一泊独り旅
【17/06/12】潮来・佐原(伊能忠敬旧邸): 日帰りバス旅 【18/04/03】タンメン会:氷川神社,日枝神社散策と 赤坂宴会 【18/10/10】かんぽの宿「喜連川温泉」一泊独り旅 【19/09/28】チャー死去(12歳位)。3年9カ月 懸命に生き愛された 【19/11/12】かんぽの宿「石和温泉」一泊独り 【20/01/03】近隣神社で子年初詣 【21/12/29】右下肢蜂窩織炎で国際医福大病院入院(〜21/1/4) 【22/02/18】コロナワクチン接種(第3回) 【22/04/27】アイ・リンクタウン45F展望台から東京方面を望む 【22/12/05】サッカーW杯(カタール):日本vsクロアチアで善戦す。
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