国分寺の沿革と開創の趣旨



国分寺は、聖武天皇の天平13年(741年)に詔勅によって
諸国に建立された寺で、僧寺を金光明四天王護国寺「国分寺」、
尼寺を法華滅罪寺「国分尼寺」と称し、仏天の加祐を乞いて、
以て災禍を除き、国家人民の福祉を増進せんがために建てられました。

蓋し、僧寺を金光明四天王護国寺と称するは、金光明経を受持し
読誦する功力によって、四天王及び其の眷属の為に守護せられ、
怨敵を降伏し種々の災変を払い疾厄を除滅し、
以て国土の安穏を求むるの意に出でたものであり、
尼寺を法華滅罪寺というは、法華経の功徳によって
女人の五障等を滅し、現在、未来、二世の安楽を
獲せしめんことを期するにあります。
そして、大和の東大寺を総国分寺と定め、
法華寺を総国分尼寺と定められました。

河内国分寺は天平年間、光明皇后の創建にして、
現在の柏原市国分東条町周辺に二十五町七段三百三十歩を
有したといわれ、天竺の僧、菩提僧正を開基と
為し給いしものに係わり、明徳の変乱に梵蕩して
遂に廃絶せり、といいます。
亦すぐ目下を流れる亀乃瀬は、役の行者ゆかりの
二十八宿の一つとされ、法華経二十八品に
なぞらえた二十八番の経塚があり、
南に聳える明神山遥拝や納経が今も続けられています。

この度開山の運びとなった国分寺は、本尊が金光明経最勝王経の
主尊ともいえる弁才天であり、法華経の顕現の姿である観世音菩薩を、
その教導の大士として祭祀し、以て開基発願の大意を興し、
併せて現世の利益を請し奉り、仏縁の恩恵に報いんとするものであります。
浅学非才、三歩出て四歩戻るの愚行を常とする煩悩大過の身を以て、
せめて些少の一事なりとも、御仏の加護を頼み、仏縁の導きにすがりて
果たさんとする愚考の段ながら、ご厚志を仰ぎ、
一灯の力添え賜れば、将に天与の報いと、深謝の極みにして、
そのご法幸限りなしと存ずる次第であります。

合  掌


国分寺住職 慈峯 拝