ぼやき No.163 2004/10/13  時間という物

いつだったか、特殊相対性理論を説明するときに「好きな人と居る1時間は数分の様に感じるが嫌いな人との数分は数時間にも感じる」という話を聞いた事があります。
時間という概念がいかに変化を伴う物かと言う点においてはなるほどなと思うわけであります。
今日、課長面談がありまして、インターンから準社員に昇格する事になりました。この間の時間の流れ方がそれまでの時間の流れ方と明らかに違うのです。
ここ最近、時間という概念、一日という概念が自分で違ってきているのを自覚する事ができます。時間が無い。というのは言い訳でしょう。時間は作る物。
そう、時間という物は作り出す事のできる物であり、その作り出した時間をいかに有効に使うかに全てがかかっている様に思うのです。
9時からの勤務に対し、私は8時にオフィスにいます。準備やら、あれやらこれやら。。。。
しかしその時間は無駄だとは思いません。その為に1時間早く起きるとしても、会社に1時間早くいる事は今の私にはプラスです。その1時間を作る為に睡眠時間を削らなければなりません。
しかし人間、1日や2日、寝なくても死にはしません。
これが毎日となると結構1時間がきつかったりしますが、慣れてしまえばこんな門下と思います。6時に起きて朝飯食って、おにぎり握って、7時半のバスに乗るか、茶利に乗って南口へ。
その余裕がその後の余裕に繋がる。
今時間が音を立ててながれている様な気さえします。
年を取ったという事なのでしょうか。爺様の言葉で「年を取れば取るほどつらい事が多くなり、時間は短く感じる物だ」という言葉がありました。
まさしくそのものを今感じています。
が、今までなら逃げていたのでしょう。今はその流れに乗るのがおもしろいのです。失敗もし、嫌みも言われ、それでも時間を過ごす、あっという間の一日。それでも楽しくて。辛くても前向きな自分を不思議に思います。

目標を持つという事。
そんな些細な事が時間の過ごし方を変えたのでしょうか。
ただふと思うのはこの状況においても友人の存在です。やはりそのバックアップが有るが故に頑張れるのだなと。

私の様に能力もなく、何事に対しても無責任だった人間が少々変わってきたかなあと思います。

時間。再生産のできないこの時間を大切にしなければと思います。

そして、支えてくれている人々の存在を忘れては行けないと自分を戒めています。