ぼやき No.29 2002/08/15 玉音
夏で一番重い日、そう、昭和20年8月15日。
この玉音が日本に流れ、日本の運命は変わったのですよね。
世が世なら私は徴兵を終え、社会に出ていたのでしょう。
今日は公休出勤でしたが、心するところがあり、早退してきました。
今日、このぼやきを記すために。今日でなければならない。
今の日本は何百万という犠牲の上に成り立っているという事を今の若い人は意識しているのでしょうか。アフガニスタンを、北朝鮮をテロと言い切るが、半世紀前の日本はどうだったのでしょうか。
空母を持ち、戦艦を持ち、他国に出て行った軍事大国
米国の思惑があったことも事実でしょう。今のイラクのように。
しかし、亡くなっていった先人は今の日本の姿を望んで死んでいったのか。。。
国を思い、家族を思い、戦闘機に戦車に、軍艦に乗り込んで亡くなっていった方々は今の日本をどう思うのでしょうか。
そんな思いで一日重く過ごしています。
私一人くらい。。。。
そう思うのですが。私一人くらい重くとらえて考えてみたいと思います。
あえて、詔勅全文を掲載します。
自分が考えるために
朕(ちん=天皇の自称)深く世界の体勢と帝国の現状とに鑑み非常の措置を以て時局を収集せむと欲し茲(ここ)に忠良(ちゅうりょう)なる爾(なんじ)臣民(しんみん=天皇制の下での国民)に告ぐ
朕は帝国政府をして米英支(し=中国)蘇(そ=ソ連)四国(しこく)に対し共同宣言を受諾する旨通告せしめたり
抑々(そもそも=物事の最初 起こり もともと)帝国臣民の康寧(こうねい=やすらかなこと)を図り万邦(ばんぽう=あらゆる国)共栄の楽を偕(ともに)するは皇祖皇宗(こうそこうそう=天照大神に始まる天皇歴代の祖先)の遺範にして朕の挙々措(お)かざる所曩(ここ)に米英二国に宣戦せる所以も亦実に帝国の自存と東亜の安定とを庶幾(しょき=こい願うこと)するに出て他国の主権を排し領土を侵す如きは固(もと)より朕が志にあらする然(しか)るに交戦巳に四歳(しさい)を閲(えっ)し朕が陸海将兵の勇戦朕か百僚有司(ひゃくりょうゆうし=多くの官僚)の励精朕か一億衆庶(しゅうしょ=庶民)の奉公各々最善を尽くせるに拘(かか)わらず戦局を必ずしも好転せず世界の大勢亦(また)我に利あらず加之(くわうるに)敵は新に残虐なる爆弾を使用して頻に無辜(むこ)を殺傷し惨害の及ぶ所真に測るべからざるに至る而(しか)も尚交戦を継続せむか終(つい)に我が民族の滅亡を招来するのみならず延べて人類の文明をも破却(はきゃく)すべし斯(かく)くの如くむは朕何を以てか億兆の赤子(せきし=天皇を親に見立てた人民の称)を保し皇祖皇宗の神霊に謝せむや是れ朕が帝国政府をして共同宣言に応せしむるに至れる所以なり
朕は帝国と共に終始東亜の解放に協力せる諸盟邦に対し遺憾の意を表せざるを得ず帝国臣民にして戦陣に死し職域に殉じ非命に斃(たお)れた者及びその遺族に想いを致せば五内(ごだい=五臓→心臓、肝臓、肺臓、腎臓、脾臓)為に裂く且戦傷を負い災禍(さいか)を蒙(こうむ)り家業を失いたる者の厚生に至りては朕の深く軫念(しんねん=天子の御心)する処なり惟(おも)うに今後帝国の受くべき苦難は固(もと)より尋常(じんじょう)にあらず爾臣民の衷情(ちゅうじょう=うそいつわりのない心)も朕善(よ)く之を知る然れども朕は時運の趨(おもむ)くところ堪(た)え難(がた)きを堪え忍(しの)び難きを忍び以て万世(ばんせい)の為に太平を開かんと欲す
朕は茲に国体を護持し得て忠良なる爾臣民の赤誠(せきせい=少しのうそいつわりもない心)に信倚(しんい=信頼)し常に爾臣民と共に在り若(も)し夫(そ)れ情の激する所濫に事端(じたん=事件の端緒)を滋(しげ)く(ふや)し或いは同胞排擠(はいせい=他をおしのけたりおとしいれたりすること)互いに時局を亂り為に大道を誤り信義を世界に失うか如きは朕最も之を戒(いまし)む宜(よろ)しく挙国一家子孫相伝え確(かた)く神州の不滅を信じ任重くして道遠きを念ひ総力を将来の建設に傾け信義を篤(あつ)くし志操(しそう=かたく守って変えない志)を鞏(かた)くし誓って国体の精華(せいか=立派な点)を発揚し世界の進運に後れざらむことを期すべし其れ克(よ)く朕が意を体せよ