聖書のメッセージ


2018年6月17日(日曜)

聖霊降臨節第5主日
北千住教会 持田嗣生牧師

「神への信仰と祈り」
聖書 マルコ11章20節−25節
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翌朝早く、一行は通りがかりに、あのいちじくの木が根元から枯れているのを見た。
そこで、ペトロは思い出してイエスに言った。「先生、御覧ください。あなたが呪われたいちじくの木が、枯れています。」
そこで、イエスは言われた。「神を信じなさい。 はっきり言っておく。だれでもこの山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言い、少しも疑わず、自分の言うとおりになると信じるならば、そのとおりになる。 だから、言っておく。祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる。 また、立って祈るとき、だれかに対して何か恨みに思うことがあれば、赦してあげなさい。そうすれば、あなたがたの天の父も、あなたがたの過ちを赦してくださる。」
 マルコ11章20節−25節 聖書・新共同訳
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いちじくの収穫の季節ではありませんでしたが、イエスがいちじくの木に3月頃になる緑色の実を捜されたところ、その木には全くその実もありませんでした。それでイエスが「これから後いつまでも、お前から実を食べる者が無いように」と言われました。その翌日、その木は根元から枯れていました。ペトロはそれを見て『先生、ご覧ください。あなたが呪われたいちじくの木が、枯れています』と言いました。ペトロは、主イエスの言葉の力に驚いたのでしょう。
するとイエスは、『神を信じなさい。はっきり言っておく。だれでもこの山に向かい、立ち上がって海に飛び込めと言い、少しも疑わず、自分の言う通りになると信じるならば、その通りになる』と言われました。どういうことでしょうか。
主イエスはこれまで、神の御心から離れてしまった神の家である神殿について語って来られました。しかしここでは、神が主イエスご自身において新たに再建される神殿である教会生活について語っておられます。そこでは神の恵みに満ちたご支配が到来しており、神の言葉である罪の赦しの福音が語られるのであります。また、神の恵みに満ちた癒しの言葉が語られるのであります。神が語るようにと与えられた福音の言葉は、この世の力ではなし得ない驚くべき恵みの御業を実現させるのであります。未だかつて起こったことのないことが、神の言葉なる福音によって成されるのであります。神を信じて福音を語る人の言葉は必ず成就すると語られており、神の言葉なる福音の力が語られております。
次に「祈り求めるものは、すべて既に与えられたと信じなさい。そうすれば、その通りになる」と言われました。今や主イエス・キリストにおいて、神の恵みに満ちたご支配が到来しております。主イエス・キリストにおいて神との生きた交わりが与えられており、神は深い愛の故に、人の必要を求める祈りに対応して下さることが告げられております。主イエスが仲保者となられることにおいてこのような神との関係が回復されているのですから、神を信じて祈り求めるようにと、主イエスが祈りに招いておられるのであります。
25節には「立って祈る時、誰かに対して何か恨みに思うことがあれば、赦してあげなさい。そうすれば、あなた方の天の父も、あなた方の過ちを赦して下さる」とあります。
天の父なる神は恵みと憐れみに富む方であり、罪を赦すお方です。ですから神に祈っていると、思いが罪の赦しへと導かれ、和解への道が開かれて行くのであります。
主イエスによってもたらされた新たな神の家なる教会における、神の恵みに満たされた新たな生活の姿が告げられているのであります。