2018年6月10日(日曜) 聖霊降臨節第4主日 北千住教会 持田嗣生牧師 「すべての民の祈りの家」 聖書 マルコ11章12節−19節 ------------------------------------------------
翌日、一行がベタニアを出るとき、イエスは空腹を覚えられた。 そこで、葉の茂ったいちじくの木を遠くから見て、実がなってはいないかと近寄られたが、葉のほかは何もなかった。いちじくの季節ではなかったからである。 イエスはその木に向かって、「今から後いつまでも、お前から実を食べる者がないように」と言われた。弟子たちはこれを聞いていた。 それから、一行はエルサレムに来た。イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いしていた人々を追い出し始め、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けをひっくり返された。 また、境内を通って物を運ぶこともお許しにならなかった。 そして、人々に教えて言われた。「こう書いてあるではないか。『わたしの家は、すべての国の人の/祈りの家と呼ばれるべきである。』/ところが、あなたたちは/それを強盗の巣にしてしまった。」祭司長たちや律法学者たちはこれを聞いて、イエスをどのようにして殺そうかと謀った。群衆が皆その教えに打たれていたので、彼らはイエスを恐れたからである。 夕方になると、イエスは弟子たちと都の外に出て行かれた。 |
マルコ11章12節−19節 聖書・新共同訳 |
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12-13節に「イエスは空腹を覚え、葉の茂ったいちじくの木を見て、実がないかと近寄られたのですが葉の他は何もなかった。いちじくの季節ではなかったからである」とあります。イエスがいちじくの季節でないのに実を捜された、とはどういうことでしょうか。いちじくは6月と8−9月に二度実が出来ました。しかし3月にも枝の先に食べられる緑色の実が出来るのです。イエスはそれを捜されたのでしょう。しかしその実もなかったのです。いちじくやブドウはイスラエルに例えられましたから、次に記されている神との交わりを失った命のない神殿祭儀のことを指していると思われます。 イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いしていた人々を追い出し始め、両替人の台や鳩を売る者の腰掛をひっくり返された、とあります。境内では、傷のない動物や鳩が高い値で売られており、シケル銀貨に両替するために三割の手数料を取ったと言われます。またそうしたことのために境内を通って物を運んでいました。こうしたことは、神殿祭儀のためには不可欠のことでした。ですからイエスのこの振る舞いは、神殿祭儀そのものを否定することでした。それで、18節にあるように、祭司長たちや律法学者たちがイエスを殺そうと謀るようになったのです。 イエスは『この家は、すべての国の人の、祈りの家と呼ばれるべきである。ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にしている』と言われました。前半はイザヤ書56章の、異邦人も宦官も神は神殿での礼拝に招いておられるという言葉から引用されています。また後半はエレミヤ書7章からの引用で、あなた方は神の名のついている家を、神のものを奪い取る強盗の巣にしているという言葉からの引用です。 ところで神殿の原型は「会見の幕屋」で、これは、神がご自身の民と会見される場所としてモーセに造るように命じられたものです。また同時に神がその民と共におられる場所でもありました。ですから神殿も神が民と出会われる場所であり、また神がそこにおいてその民と共におられる場所でありました。しかし今や、神殿はそうした神との会見の場所ではなくなってしまっていました。ですからイエスは神殿祭儀を完全に否定されたのでありました。 こうしてイエスは、古い神殿を廃棄し、ご自身の十字架の死と復活において、ご自身が、神と人とが交わり、またそこに置いて神が人と共におられる新しい神殿となられることを指し示しておられるのであります。 わたしたちも、主イエスにおいて神との交わりに与り、イエスが共にいて下さることにおいて神と共にある者とされていることを感謝して日毎の歩みを喜んで励みましょう。 |