聖書のメッセージ


2018年5月27日(日曜)

聖霊降臨節第2主日
北千住教会 持田嗣生牧師

「あなたの信仰があなたを救った」
聖書 マルコ10章46節−52節
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一行はエリコの町に着いた。イエスが弟子たちや大勢の群衆と一緒に、エリコを出て行こうとされたとき、ティマイの子で、バルティマイという盲人が道端に座って物乞いをしていた。ナザレのイエスだと聞くと、叫んで、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と言い始めた。 多くの人々が叱りつけて黙らせようとしたが、彼はますます、「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と叫び続けた。 イエスは立ち止まって、「あの男を呼んで来なさい」と言われた。人々は盲人を呼んで言った。「安心しなさい。立ちなさい。お呼びだ。」 盲人は上着を脱ぎ捨て、躍り上がってイエスのところに来た。 イエスは、「何をしてほしいのか」と言われた。盲人は、「先生、目が見えるようになりたいのです」と言った。 そこで、イエスは言われた。「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」盲人は、すぐ見えるようになり、なお道を進まれるイエスに従った。
 マルコ10章46節−52節 聖書・新共同訳
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主イエスと弟子たち、それを取り巻く人たち一行がエルサレムに向かいエリコを出ようとした時でした。テイマイの子で「バルテイマイ」という盲人の物乞いが『ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんで下さい』と叫び始めました。『ダビデの子イエス』という称号は、イエスが旧約聖書で約束されている救い主であることを告白する言葉です。また『憐れむ』という語は、神の変わることのない愛を現す語ですから、主イエスが神の憐れみを行使するお方であることを告白する言葉です。ところが「多くの人々がしかりつけて、黙らせよう」としました。主イエスに従う一行は、イスラエルの回復の時が迫っており、目の見えない物乞いに対応している余裕はないと考えたのでしょう。しかし、バルテイマイはますます叫び続けたのであります。
彼の叫びを聞いておられた主イエスは『あの男を呼んで来なさい』と言われました。人々は盲人を呼んで『安心しなさい。立ちなさい.あなたをお呼びだ』と言いました。「叱って、黙らせようとしていた」人々がこう言ったのです。主イエスの言葉が如何に力ある言葉であるかを、わたしたちは信じる者とされたいのであります。
「彼は上着を脱ぎ捨て、躍り上がってイエスの所に来た」とあります。施しを受けるために広げられていた上着を脱ぎ捨てたことを言うのでしょう。主による新たな生活が始まるのであります。イエスが『わたしに何をしてほしいのか』と尋ねられると、彼は『見えるようになることです』と答えました。するとイエスは『行きなさい。あなたの信仰があなたを救った』と言われました。すると彼の目は開きました。この人は、目が見えないために働くことが出来ず、人々に施しを請うことによって生きている人でした。つらく惨めな思いをして来たことでしょう。何か価値ある業を成したという人ではありません。しかし、主イエスは『行きなさい。あなたの信仰が、あなたを救った』と言い、バルテイマイの、主イエスへの信仰による歩み出しの重要性を告げられました。主イエスへの信仰による歩み出しを命じられました。わたしたちも然りです。真に小さな存在にすぎません。しかし、主イエスは『行きなさい。あなたの信仰が、あなたを救った』と言い、主イエスに対する信仰によって歩み出すようにと命じられるのであります。どんなに無力であろうが、あなたの主イエスに対する信仰は、主イエスによるあなたの救いを受け取ることを得させるのだ、だから、主イエスを信じて歩み出しなさい、と言われるのであります。主に求めることについて、主がお与えくださることを信じて、歩み出す者とされるようお祈りを致しましょう。