聖書のメッセージ


2018年5月6日(日曜)

復活節第6主日
北千住教会 持田嗣生牧師

「人間には出来なくても」
聖書 マルコ10章17節−31節
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イエスが旅に出ようとされると、ある人が走り寄って、ひざまずいて尋ねた。「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか。」 イエスは言われた。「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。 『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え』という掟をあなたは知っているはずだ。」 すると彼は、「先生、そういうことはみな、子供の時から守ってきました」と言った。 イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」その人はこの言葉に気を落とし、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。 イエスは弟子たちを見回して言われた。「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。」弟子たちはこの言葉を聞いて驚いた。イエスは更に言葉を続けられた。「子たちよ、神の国に入るのは、なんと難しいことか。 金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」 弟子たちはますます驚いて、「それでは、だれが救われるのだろうか」と互いに言った。 イエスは彼らを見つめて言われた。「人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ。」 ペトロがイエスに、「このとおり、わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました」と言いだした。 イエスは言われた。「はっきり言っておく。わたしのためまた福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子供、畑を捨てた者はだれでも、 今この世で、迫害も受けるが、家、兄弟、姉妹、母、子供、畑も百倍受け、後の世では永遠の命を受ける。 しかし、先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる。」
 マルコ10章17節−31節 聖書・新共同訳
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17節に「旅に出ようとされると」とある「旅」という語は原語では「道」となっていますから、十字架の死を遂げるエルサレムへの道を指していると考えられます。
 一人の人が「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすれば良いでしょうか」と尋ねました。主イエスは「善い方は神だけだ」と言われました。何故でしょうか。この人は主イエスを、永遠の命を得るために成すべきことを教える立派な教師だと考えていたのですが、主イエスは、永遠の命に導く方は教師ではなく、神のみであることを教えられました。
 主イエスがこの人に律法を守っているかと聞かれると、彼は子供の時から守っています、と答えました。すると主イエスは彼を慈しんで「あなたに欠けていることが一つある.行って持っているものを売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それからわたしに従いなさい」と言われました。主イエスはレビ記19章18節の「自分自身を愛するように、隣人を愛しなさい」という、「律法の精神」を告げられました。すると彼は悲しみながら立ち去りました。たくさんの財産を持っていたからだ、と記されています。この人は永遠の命を求めていましたが、自分でそれを得ることは出来ない事を知ったのであります。
 主イエスは『金持ちが神の国に入るのは、何と難しいことか。金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がやさしい』と言われたので、弟子たちは驚いて、『それでは、誰が救われるのだろうか』と互いに言ったのでした。弟子たちは、金持ちを始め人が律法を守って神の国に入ることは全く不可能だということを知ったのであります。
 しかし主イエスは言われました。「人間には出来ることではないが、神には出来る。神は何でもできるからだ』と言われました。この言葉を聞いてペトロは、主イエスが「わたしに従って来なさい」と招かれることによって、自分が何もかも捨てて主イエスに従っていることに気付かされたようです。実に驚くべき神の恵みの御業が主イエスにおいて弟子たちの上に起こっていたのでありました。主イエスにおける神の恵みの御業は何と深く大きなことでしょう。
 主イエスは、わたしのため、また福音のために捨てた物については、今、この世で百倍を受けると言い、主イエスにおいて到来している神の国に与る者とされることを告げ、更に永遠の命を受けることも告げられました。また「先にいる多くの者が後になり、後にいる多くのが先になる」と語り、神の全き恵みに対する信仰に生きることを教えられました。
わたしたちは自分の力で神の国に入ることは出来ません。しかし主イエスが招き入れて下さっているのですから、喜び感謝して、主の恵みに生かされた歩みに勤しみましょう。