聖書のメッセージ


2018年4月29日(日曜)

復活節第5主日
北千住教会 持田嗣生牧師

「満ち溢れる神の御恵み」
聖書 マルコ10章13節−16節
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イエスに触れていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。 しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」 そして、子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。
 マルコ10章13節−16節 聖書・新共同訳
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13節に「イエスに触れていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った」とあります。当時、親たちは子供の最初の誕生日等に、良く知られたラビ(教師)のところに連れて行き祈ってもらいましたから、人々が子供を、イエスに祈って頂くために連れて来ることは喜ぶべきことでした。何故弟子たちは叱ったのでしょうか。
弟子たちはエルサレムへの途上にありました。イエスは弟子たちにエルサレムでご自分が十字架に掛けられ殺されると語っておられましたが、弟子たちはイエスによってイスラエルが回復され、神の国の来ることを夢見ていました。そのことのために舟も網も捨ててイエスに従いました(10:28参照)し、主イエスがイスラエルを再建された時の自分たちの地位について考えてもいました(10:37参照)。こうした状態でしたから、子供たちの祝福を祈る事等念頭になく、弟子たちは子供たちを連れて来た人々を叱ったのでしょう。
しかしイエスはこれを見て憤り、弟子たちに『子供たちを私のところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである』と言い、更に『子供のように、神の国を受け入れる人でなければ、決して神の国に入ることは出来ない』と言われました。当時、「神の国」は善行によって入るものだと考えられていました。しかし主イエスの宣教された「神の国」は全く逆で、子供のように神の国を受け入れる者、すなわち主イエスとその言葉を信じ受け入れることによって、初めて神の国に入るのだと告げられました。子供の特質は、父母の言葉と業を信じ受け入れて生きることであるように、神の国は主イエスと主イエスの言葉を聞き、喜び信じ受け入れることにおいて入るし、また神の国に生きるのだと言われました。本福音書には、善行とは無関係に、いと小さき人が主イエスの言葉を信じ受け入れるだけで、神の恵みの支配に与っていることが繰り返し記されています(1:10,5:5,7,25等参照)。主イエスが宣教し、現された「神の国」は、人々が考えていた「神の国」とは違い、主イエス・キリストを信じ受け入れることにおいて与えられる神の恵みに満ちたご支配でありました。このように語られた主イエスは、御自分の許に来た子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福されたと記されております。
わたしたちも、子供のように何が出来なくても、毎日、また何事につけても、主イエスのもとに行き、祈り願い、主イエスの言葉を信じ、受け入れることによって、父なる神の祝福に満ちたご支配(神の国)に与らせて頂きたく思います。何時でも主イエスの言葉を聞き、喜び信じ、受け入れつつ生きる者とされるようにお祈りをいたしましょう。