聖書のメッセージ


2018年2月25日(日曜)

受難節第2主日
北千住教会 持田嗣生牧師

「自分の十字架を背負って」
聖書 マルコ8章31節−9章1節
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それからイエスは、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている、と弟子たちに教え始められた。 しかも、そのことをはっきりとお話しになった。すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。 イエスは振り返って、弟子たちを見ながら、ペトロを叱って言われた。「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。」 それから、群衆を弟子たちと共に呼び寄せて言われた。「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。 自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。 神に背いたこの罪深い時代に、わたしとわたしの言葉を恥じる者は、人の子もまた、父の栄光に輝いて聖なる天使たちと共に来るときに、その者を恥じる。」 また、イエスは言われた。「はっきり言っておく。ここに一緒にいる人々の中には、神の国が力にあふれて現れるのを見るまでは、決して死なない者がいる。」
 マルコ8章31節−9章1節 聖書・新共同訳
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イエスは「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている」と言われました(32節)。  
 「ことになっている」とありますから、ユダヤ人の指導者たちから排斥されて殺されることも、また復活されることもすべてが、神の御心とご計画によることであることが告げられております。弟子たちには考えられないことでした。
 この言葉を聞いて驚いたペトロは主を脇へお連れして、いさめ始めました。ペトロを始め弟子たちが、主イエスについて抱いていたメシア像は、ローマの支配からイスラエルを開放し、国を復興するお方だったのです。
 すると主イエスは、振り返って、弟子たちを見ながら、ペトロを叱って、『サタン、引きさがれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている』と言われました。
「サタン、引きさがれ」と訳出されていますが、原語では「わたしの後ろへ」という言葉があります。イエスは今、神の御心に従って十字架にかけられるエルサレムに向かって歩んでおられます。弟子たちはその主に従って歩いています。この順序が大切です。しかしペトロはその順序を破って自分が先立ち主を脇へお連れし、妨害しようとしたのでありました。それで、「サタン」と言われたのであります。
因みにマタイ4章10節にある、サタン自身への言葉は単に『退け、サタン』だけで、「わたしの後ろへ」という言葉はありません。神の御心に従われる主イエスに、弟子たちが従うという、この構図が大切なこととして記されています。
 イエスは群衆を弟子たちと共に呼び寄せ、『わたしの後に従いたい者は自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい』と言われました。「主イエスに従いたい」という願いが大切だと言われています。わたしたちは、主に従い得ない自分に失望しますけれども、主イエスは「従いたい」というわたしたちの願いを大切にしてくださるので、励まされるのであります。
 イエスは、「自分の十字架を背負ってわたしに従いなさい」と言われました。「自分の十字架を背負っている人」は、主イエスがそうであったように、最早自分の命は自分のものではなく、他者のものです。主はご自分を父なる神に捧げ、神のものとして、神の御心に従われたのでありました。
 わたしたちも同様です。わたしたちは、主イエスの比類のない贖いの御業によって贖い取られて主イエスのものとされております。ですから、自分自身が主イエスのものとされていることを喜び感謝し、「主よ、あなたはわたしを贖い取ってあなたのものとしてくだしました。ですから、あなたに従う者としてください」と祈りつつ歩みましょう。