聖書のメッセージ


2018年1月21日(日曜)

降誕節第4主日
北千住教会 持田嗣生牧師

「創造の姿の回復」
聖書 マルコ7章31節−37節
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それからまた、イエスはティルスの地方を去り、シドンを経てデカポリス地方を通り抜け、ガリラヤ湖へやって来られた。人々は耳が聞こえず舌の回らない人を連れて来て、その上に手を置いてくださるようにと願った。 そこで、イエスはこの人だけを群衆の中から連れ出し、指をその両耳に差し入れ、それから唾をつけてその舌に触れられた。 そして、天を仰いで深く息をつき、その人に向かって、「エッファタ」と言われた。これは、「開け」という意味である。すると、たちまち耳が開き、舌のもつれが解け、はっきり話すことができるようになった。 イエスは人々に、だれにもこのことを話してはいけない、と口止めをされた。しかし、イエスが口止めをされればされるほど、人々はかえってますます言い広めた。 そして、すっかり驚いて言った。「この方のなさったことはすべて、すばらしい。耳の聞こえない人を聞こえるようにし、口の利けない人を話せるようにしてくださる。」
 マルコ7章31節−37節 聖書・新共同訳
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 主イエスは弟子たちを伴い、テイルス、シドン、デカポリス地方等、異邦人の地に神の国到来の福音を宣教されました。本日の記事もデカポリス地方でのことと考えられます。  
人々は耳が聞こえず、舌の回らない人を連れて来て、その人の上に手を置いて下さるように願いました。すると主イエスは彼を群衆の中から連れ出された、とあります。主イエスはこの人を群衆の一員から、ご自身との人格的対話的関係へと呼び出されたのであります。主イエスが宣教しておられる神の国は、神が創造された姿に回復され、人が神と「われと汝」という人格的交わりに生きる国であります。主イエスはこの人と向き合い、指を彼の両耳に入れ、唾をつけてその舌に触れ、天を仰いで深く息をつき、その人に向かって『エッファタ』開け、と言われると、直ちに耳が開き舌のもつれが解けはっきりと話せるようになったとあります。 「天を仰ぎ」とありますが、天は父なる神のおられる所で、神の恵みの御業の成される源なる所であります。「深いため息をつく」は、とりなしの姿です(ローマ8:26参照)。「開け」と命じられると耳が開き舌のもつれが取れました。神は「光あれ」と言って光を創造されたのですが(創世記1:3)、そのように主イエスの言葉はそのまま出来事となり癒されたのであります。こうして、この人は、神が創造された姿に回復したのであります。36節には、イエスは人々に、だれにもこのことを話してはいけない、と口止めをされました。しかし人々はかえってますます言い広めた、とあります。主イエスが口止めされたのは、イエスが宣教しておられる神の国は、単に病の癒しや悪霊の追放ではなく、主イエスの十字架の死による罪と死からの贖い、並びに復活と聖霊の授与による神との交わりの回復を内容としていました。ですから、病気の癒しや悪霊の追放が独り歩きしないように願っておられたのでしょう。主イエスの御業を見た人々は、すっかり驚いて「この方のなさったことはすべてすばらしい。耳の聞こえない人を聞こえるようにし、口の利けない人を話せるようにしてくださる」と言ったとあります。この人々の驚嘆の言葉は、救い主によって、神の創造の姿への回復が成されるという、イザヤによる預言が今主イエスによって実現していることを、告白する言葉でありました。「その時、見えない人の目が開き、聞こえない人の耳が開かれる。その時、歩けなかった人が鹿のように躍り上がる。口の利けなかった人が歌う」(イザヤ35:4-6)。 主イエス・キリストの救いの御業は、神が創造された姿の回復であることを覚え、造られ、生かされていることを喜び感謝して、主にある歩みに勤しみましょう。