聖書のメッセージ


2018年1月14日(日曜)

降誕節第3主日
北千住教会 持田嗣生牧師

「意味深い信仰の言葉」
聖書 マルコ7章24節−30節
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イエスはそこを立ち去って、ティルスの地方に行かれた。ある家に入り、だれにも知られたくないと思っておられたが、人々に気づかれてしまった。
汚れた霊に取りつかれた幼い娘を持つ女が、すぐにイエスのことを聞きつけ、来てその足もとにひれ伏した。
女はギリシア人でシリア・フェニキアの生まれであったが、娘から悪霊を追い出してくださいと頼んだ。
イエスは言われた。「まず、子供たちに十分食べさせなければならない。子供たちのパンを取って、小犬にやってはいけない。」
ところが、女は答えて言った。「主よ、しかし、食卓の下の小犬も、子供のパン屑はいただきます。」
そこで、イエスは言われた。「それほど言うなら、よろしい。家に帰りなさい。悪霊はあなたの娘からもう出てしまった。」
女が家に帰ってみると、その子は床の上に寝ており、悪霊は出てしまっていた。
 マルコ7章24節−30節 聖書・新共同訳
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 主イエスは弟子たちと共にガリラヤのゲネサレトから,異邦人の地フェニキアのテイルスへ行かれました。イエスは「ある家に入り、誰にも知られたくないと思っておられた」とあります。人々が神の国を求めることはせず、病の癒しを求めることについて悩んでおられたのかも知れません。 早速、ギリシャ人で、シリア・フェニキア生まれの女の人が来て、娘が悪霊に取りつかれているので癒して頂きたいとひれ伏して願ったのでありました。 するとイエスは「まず子供たちに十分食べさせなければならない。子供のパンを取って,小犬に遣ってはならない」と言って願いを拒否されました。当時ユダヤ人は異邦人のことを犬と言うことがありました。この主イエスの表現は、当時のユダヤ人の異邦人に対する差別意識を表現しています。勿論それはユダヤ人のみならず全ての民の問題でもあります。 これを聞いたこの女の人は主イエスの言葉を否定しませんでした。この世界のものの考え方は、イエスが言われる通りであります。確かにユダヤ人と異邦人なるわたしとは、血縁、宗教、文化、生活様式、言葉、考え方、歴史等など様々な点で大きな相違があり、互いに差別意識を持つのです。この女の人は、イエスが言われたこの世の考え方、即ちユダヤ人の考え方、異邦人なる自分の考え方から目を離し、直ちに主イエスに注目し、主イエスが宣教しておられる神の国の福音に目を向けたのであります。イエスの福音によるならば、全てのものの創造者なる神の恵みに満ちた統治がイエス・キリストにおいて到来しているのであります。イエスはユダヤ人も異邦人も含め、全ての人を救い、養い育てる唯一の主なるお方であります。そして同時に、ユダヤ人であれ異邦人であれ、共に信じ礼拝し従うべきただ一人の主なるお方なのであります。それでこの女は「食卓の下の小犬も、子供のパンくずは頂きます」と言って、自分たち異邦人も主イエスの家族であり、民でありますと、信仰の告白をしたのであります。この言葉を聞いて、主イエスは「それほど言うなら、よろしい。家に帰りなさい。悪霊はあなたの娘からもう出てしまった」と言われました。こうして娘は癒しに与ったのでありました。わたしたちも同様の経験をするのではないでしょうか。わたしたちは自分の問題解決のためにひたすら主に訴えます。しかし大切なことは、イエスがわたしにとって唯一の救い主であり、養い育てて下さるお方であることを信じると共に、わたしたちのただ一人の礼拝すべきお方、従うべき主なるお方であることを告白する生に生きることであります。主イエスは、日毎の労苦に満ちた歩みの中で、わたしたちをこのような信仰告白に導いて下さるお方であります。