聖書のメッセージ


2017年12月3日(日曜)

待降節第1主日
北千住教会 持田嗣生牧師

「主のために準備する人」
聖書 ルカ1章5節−25節

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ユダヤの王ヘロデの時代、アビヤ組の祭司にザカリアという人がいた。その妻はアロン家の娘の一人で、名をエリサベトといった。 二人とも神の前に正しい人で、主の掟と定めをすべて守り、非のうちどころがなかった。 しかし、エリサベトは不妊の女だったので、彼らには、子供がなく、二人とも既に年をとっていた。さて、ザカリアは自分の組が当番で、神の御前で祭司の務めをしていたとき、 祭司職のしきたりによってくじを引いたところ、主の聖所に入って香をたくことになった。香をたいている間、大勢の民衆が皆外で祈っていた。 すると、主の天使が現れ、香壇の右に立った。 ザカリアはそれを見て不安になり、恐怖の念に襲われた。天使は言った。「恐れることはない。ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた。あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい。 その子はあなたにとって喜びとなり、楽しみとなる。多くの人もその誕生を喜ぶ。 彼は主の御前に偉大な人になり、ぶどう酒や強い酒を飲まず、既に母の胎にいるときから聖霊に満たされていて、イスラエルの多くの子らをその神である主のもとに立ち帰らせる。彼はエリヤの霊と力で主に先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に正しい人の分別を持たせて、準備のできた民を主のために用意する。」そこで、ザカリアは天使に言った。「何によって、わたしはそれを知ることができるのでしょうか。わたしは老人ですし、妻も年をとっています。」 天使は答えた。「わたしはガブリエル、神の前に立つ者。あなたに話しかけて、この喜ばしい知らせを伝えるために遣わされたのである。 あなたは口が利けなくなり、この事の起こる日まで話すことができなくなる。時が来れば実現するわたしの言葉を信じなかったからである。」 民衆はザカリアを待っていた。そして、彼が聖所で手間取るのを、不思議に思っていた。 ザカリアはやっと出て来たけれども、話すことができなかった。そこで、人々は彼が聖所で幻を見たのだと悟った。ザカリアは身振りで示すだけで、口が利けないままだった。やがて、務めの期間が終わって自分の家に帰った。 その後、妻エリサベトは身ごもって、五か月の間身を隠していた。そして、こう言った。 「主は今こそ、こうして、わたしに目を留め、人々の間からわたしの恥を取り去ってくださいました。」
 ルカ1章5節−25節 聖書・新共同訳
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本日、待降節(アドベント)に入りました。「アドベント」は「来臨」の意であります、主の受肉来臨(クリスマス)と、救いの御業の完成のための再臨を待つありようについて御言葉から聞きましょう。 祭司ザカリヤの妻エリサベトは不妊の人であり、祈り求めながらも子供が与えられることなく二人は年取ってしまいました。しかし彼が神殿で香を炊く務めをしている時、主の天使ガブリエルが現れ、「ザカリヤ夫妻に子供が与えられ、その子は聖霊に満たされ、エリヤの霊と力で主の前触れをし、整えられた民を主のために用意をする人となる」と告げました。すると神の前に戒めと定めとを守って神の前に日の打ちどころのないザカリヤでありましたが、彼は主の天使の言葉が信じられず、「何によって、そのこと知ることが出来るでしょうか」と保証を求めたのであります。神の言葉こそ一切の根拠であり一切を成り立たせ、一切を保証するものです。神が「光あれ」と言われると光が出来たのであります。イザヤ書55章には、「わたしの口から出るわたしの言葉も、空しくわたしの所に返っては来ない。必ずわたしの望むことを成し遂げ、わたしの言い送ったことを成し遂げる」とあり、神の言葉こそ、聞かれ、信じられ、従われるべき言葉であることが告げられております。しかしザカリヤはその神の言葉を信じるための保証を求めたのでありました。 主の天使は言いました。「ですから見なさい。これらのことが起こる日までは、あなたはおしになって、ものが言えなくなります。わたしの言葉を信じなかったからです。わたしの言葉は、その時が来れば実現します」と告げました。こうして、ザカリヤは直ちに、ものが言えなくなったのであります。神の言葉は、人が信じても信じなくても、確かに実現するものであることをザカリヤは身をもって知らされることになりました。神殿での当番の務めが終わるとザカリヤは家に帰りました。そして主の言葉の通り、エリサベトは身ごもり、「主は今こそ、こうして、わたしに目を留め、人々の間からわたしの恥を取り去って下さいました」と言って、主の驚くべき恵みの御業を賛美告白したのであります。 こうして、神の言葉を信じ、言葉に従って、主イエス来臨の準備をするヨハネが生まれることになりました。神の民のありようは、人の知恵、力によって成り立たなくても、神の約束の言葉を聞いて、信じ、従い、神の言葉から来る希望を告白しつつ生きることであることが示されています。わたしたちも、主イエス・キリストによる贖いの御業を告げる神の言葉を信じ、その言葉を希望として告白し、主の来臨への準備をする者とされるよう祈りましょう。