聖書のメッセージ


2017年11月26日(日曜)

降誕前第5主日
北千住教会 持田嗣生牧師

「収穫の時を迎えて」
聖書 マタイ9章35節−37節


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イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた。また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。 そこで、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。
 マタイ9章35節−37節 聖書・新共同訳
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35節に「イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いを癒された」とあります。この言葉は主イエスの御業をまとめた言葉です。マタイによる福音書を見ると、(1)「4章17節に、イエスが神の恵みに満ちたご支配(神の国)の到来を宣べ伝えられたことが記されています。(2)次に5章、6章、7章では、神の恵みに満ちた支配の到来の中で、この神の恵みの働きに対する応答としての人のありようが教えられています。(3)そして8章、9章では、神の恵みの支配(神の国)の到来の証しとして、種々の病気の癒しや悪霊に取りつかれた人の癒しが記されています。そして36節に、「群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた」とあります。飼い主のいない羊とは、飢えと渇き、そして命の危機に瀕している状態を示しています。人々が疲れ果て、放り出された悲惨な状態にあるのは、人の存在と営みについて、全責任を持って対応して下さる父なる神から離れているからであり、そのことが人の悲惨の根源的な理由だと言われています。こうした中で、主イエスは深い憐れみにより、福音宣教、教え、病の癒しによって、神の恵みに満ちたご支配を来たらせられたのでありました。ここにある「憐れみ」という語は、「腹」に由来する語で、腹から突き動かされる主イエスの人々に対する愛を現す語として、繰り返し使われています。37,38節で、主イエスは深い憐れみから「収穫は多いが、働き人が少ない。だから、収穫のために働き手を送って下さるように収穫の主に願いなさい」と言われた、とあります。詩編126編に「涙と共に種を蒔く人は、喜びの歌と共に刈入れる。種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は、束ねた穂を背負い、喜びの歌を歌いながら帰って来る」とあり、喜びに満ちた収穫のための、種まきの労苦が記されていますが、今や、主イエスの十字架の労苦による贖いの御業によって、誰でも父なる神の許に帰還出来るように道は備えられたのであります。このことを証しする人、すなわち主イエスの労苦の実を主イエスと共に刈り取る人が送られるように、収穫の主である神に願いなさいと、言われました。人の神の許への帰還は、神の恵みの御業に拠ることです。神が働き人を立て、神が用いられるのでなければ誰もこの刈り入れの業に参与することは出来ません。この喜びに満ちた神の刈入れの御業にわたしたちをも遣わしてくださるように祈りましょう。そして更に、一人でも多くの人が、主の救いを喜んで証しする、この刈り入れの任務に導かれ遣わされるように、お祈りいたしましょう。