聖書のメッセージ


2017年11月19日(日曜)

降誕前第6主日
北千住教会 持田嗣生牧師

「神と向き合う心」
聖書 マルコ7章1−23節


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。ファリサイ派の人々と数人の律法学者たちが、エルサレムから来て、イエスのもとに集まった。 そして、イエスの弟子たちの中に汚れた手、つまり洗わない手で食事をする者がいるのを見た。 ――ファリサイ派の人々をはじめユダヤ人は皆、昔の人の言い伝えを固く守って、念入りに手を洗ってからでないと食事をせず、 また、市場から帰ったときには、身を清めてからでないと食事をしない。そのほか、杯、鉢、銅の器や寝台を洗うことなど、昔から受け継いで固く守っていることがたくさんある。―― そこで、ファリサイ派の人々と律法学者たちが尋ねた。「なぜ、あなたの弟子たちは昔の人の言い伝えに従って歩まず、汚れた手で食事をするのですか。」 イエスは言われた。「イザヤは、あなたたちのような偽善者のことを見事に預言したものだ。彼はこう書いている。『この民は口先ではわたしを敬うが、/その心はわたしから遠く離れている。 あなたたちは神の掟を捨てて、人間の言い伝えを固く守っている。」 更に、イエスは言われた。「あなたたちは自分の言い伝えを大事にして、よくも神の掟をないがしろにしたものである。モーセは、『父と母を敬え』と言い、『父または母をののしる者は死刑に処せられるべきである』とも言っている。 それなのに、あなたたちは言っている。『もし、だれかが父または母に対して、「あなたに差し上げるべきものは、何でもコルバン、つまり神への供え物です」と言えば、 その人はもはや父または母に対して何もしないで済むのだ』と。 こうして、あなたたちは、受け継いだ言い伝えで神の言葉を無にしている。また、これと同じようなことをたくさん行っている。」 それから、イエスは再び群衆を呼び寄せて言われた。「皆、わたしの言うことを聞いて悟りなさい。 外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もなく、人の中から出て来るものが、人を汚すのである。」 イエスが群衆と別れて家に入られると、弟子たちはこのたとえについて尋ねた。 イエスは言われた。「あなたがたも、そんなに物分かりが悪いのか。すべて外から人の体に入るものは、人を汚すことができないことが分からないのか。 それは人の心の中に入るのではなく、腹の中に入り、そして外に出される。こうして、すべての食べ物は清められる。」 更に、次のように言われた。「人から出て来るものこそ、人を汚す。 中から、つまり人間の心から、悪い思いが出て来るからである。みだらな行い、盗み、殺意、 姦淫、貪欲、悪意、詐欺、好色、ねたみ、悪口、傲慢、無分別など、 これらの悪はみな中から出て来て、人を汚すのである。」
 マルコ7章1節−23節 聖書・新共同訳
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ファリサイ派の人々と数人の律法学者がエルサレムから来て主イエスの所に集まった、とあります。すでに3章に記されていたように、主イエスが片手の萎えた人を安息日に癒されたので、ファリサイ派の人々はヘロデ派の人々とイエスを殺す相談をしたのでありました。ですからイエスを捕える道備えのためだったかも知れません。主イエスの弟子たちの中に手を洗わずに食事をする人がいたので、彼らはあなたの弟子は、どうして昔の人の言い伝えに従って手を洗って食べることをしないのかと尋ねました。するとイエスはイザヤ書の言葉を引用して、彼らが神の掟を捨てて、人間の言い伝えを固く守り、神の掟を守っているかのように振る舞っていることを指摘し、偽善者だと言われました。そして彼らが自分たちの言い伝えを守り神の戒めを守っていない一つの具体的な例を挙げられました。十戒では、「あなたの父と母を敬え」とありますが、もし誰かが、父または母に対してあなたに差し上げるべき物はコルバン、つまり神への供え物ですと言えば、その人は最早父と母に対して何もしないで済むと言っていました。この偽善的行為を指摘し、神の言葉を無にしていると言われました。そして人々を呼び集め、人の、神との関係におけるありようを教え、外から人の内に入る物で、人を汚すことが出来る物は何もない。しかし人から出て来るものが人を汚すのだと言われました。この意味について尋ねる弟子たちに次のように話されました。 外から人の体に入る食べ物は人を汚すことはない。お腹を通りそして出て行くのです。しかし人の心から出てくるものが人を汚すのです。みだらな行い、盗み、殺意、姦淫、悪意、詐欺、好色、妬み、悪口、傲慢、無分別など、これらの悪は皆人間の心のから出て来て人を汚します。ですから「心」が問題なのだと言われました。「心」をめぐる聖書の言葉を見ると、「人は目に映る事を見るが、主は心によって見る」(Tサム16:7)、「何を守るよりも、自分の心を守れ。そこに命の源がある」(箴言4:23)、「わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す」(エレ31:33)、「心を尽くし、、、あなたの神である主を愛しなさい」(マタイ24:48)、「彼らの心を信仰によって清め」(使徒15:9)、「神が、アッバ、父よと呼ぶ霊を、わたしたちの心に送って下さった」(ガラテヤ4:6)、「どうか、御父が、、、信仰によってあなた方の内にキリストを住まわせ、、、」(エフェソ3:7)等などあります。神に聞き、神を信じ、神の御心を知り、神との交わりに生きる生は、「心」の営みに始まることが分かります。日毎に、「心」において神と向き合う歩みに勤しみましょう。