聖書のメッセージ


2017年10月29日(日曜)

降誕前第9主日
北千住教会 持田嗣生牧師

「小さなささげもの」
聖書 マルコ6章30−44節


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さて、使徒たちはイエスのもとに集まってきて、自分たちがしたことや教えたことを、みな報告した。するとイエスは彼らに言われた、「さあ、あなたがたは、人を避けて寂しい所へ行って、しばらく休むがよい」。それは、出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである。そこで彼らは人を避け、舟に乗って寂しい所へ行った。ところが、多くの人々は彼らが出かけて行くのを見、それと気づいて、方々の町々からそこへ、一せいに駆けつけ、彼らより先に着いた。イエスは舟から上がって大ぜいの群衆をごらんになり、飼う者のない羊のようなその有様を深くあわれんで、いろいろと教えはじめられた。ところが、はや時もおそくなったので、弟子たちはイエスのもとにきて言った、「ここは寂しい所でもあり、もう時もおそくなりました。みんなを解散させ、めいめいで何か食べる物を買いに、まわりの部落や村々へ行かせてください」。イエスは答えて言われた、「あなたがたの手で食物をやりなさい」。弟子たちは言った、「わたしたちが二百デナリものパンを買ってきて、みんなに食べさせるのですか」。するとイエスは言われた。「パンは幾つあるか。見てきなさい」。彼らは確かめてきて、「五つあります。それに魚が二ひき」と言った。 そこでイエスは、みんなを組々に分けて、青草の上にすわらせるように命じられた。人々は、あるいは百人ずつ、あるいは五十人ずつ、列をつくってすわった。それから、イエスは五つのパンと二ひきの魚とを手に取り、天を仰いでそれを祝福し、パンをさき、弟子たちにわたして配らせ、また、二ひきの魚もみんなにお分けになった。みんなの者は食べて満腹した。そこで、パンくずや魚の残りを集めると、十二のかごにいっぱいになった。 パンを食べた者は男五千人であった。
 マルコ6章30節−44節 聖書・新共同訳
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弟子たちは福音宣教の旅から帰り、悔い改めのために宣教し、悪霊の追放、病の癒し等々主に報告しました。皆多忙で食事をする時間もないほどでしたので、主イエスは、人里離れたところに行き、養いを受けるように言われ、弟子たちは舟に乗って出かけました。このことを知った人々は、町々から、その人里離れた所に一斉に駆け付け、先に着きました。舟から上がった主イエスは、この多くの群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、色々と教え始められたとあります。主イエスの目にはこれらの人々は「飼い主のいない羊」なる存在であったと言われています。羊は羊飼いがいなければ食べることも飲むことも出来ませんし、猛獣の餌食にされてしまいます。飼い主のいない羊は、豊かに生きることの出来ない存在なのです。主イエスの目には、人間存在が「飼い主のいない羊」として目に映っていたのです。わたしたち人間は、一切を自分で成り立たせるべきものだと考えます。それこそが、人間の人間たる所以だと考えます。ですから、神を信じ神に依り頼んで生きる人は、弱い人だと考えます。しかし主イエスは、人が自分自身を自分の拠り所として生きようとすることこそ、最も惨めな悲劇的な姿だと言われるのであります。こうした人の姿を見て、主イエスは、ご自身において神の恵みに満ちたご支配が到来していることを告げ、ご自身の言葉と御業に拠って、神の国到来の真実を信じて生きるようにと語られたのでありました。時が進み、弟子たちは、各自が食事をするように、群衆を解散させましょうと言いました。すると主は、あなた方が食べ物を与えなさい、と言われました。人里離れたこの場所で、男だけでも五千人の大群衆に食事を備えることは不可能です、と言いました。すると主は皆を座らせ、手元にあった五つのパンと二匹の魚を取り、祝福の祈りをして渡されました。するとみんなが満腹して残りのパンを集めると12のかごに一杯になりました。弟子たちは五つのパンと二匹の魚では、大群衆の必要に対応できないと考えました。しかしそれが主イエスに捧げられ、主イエスが祝福して分けられると大群衆を養い、残りも溢れるばかりにあったのです。弟子たちは、大群衆と共に、主イエスによる休息と養いに与りました。弟子たちのわずかな物では大群衆の必要に対応できないと思いました。しかしそれが主の手に委ねられると驚くべき養いがなされました。 主イエスは、小さな捧げものを祝し用いて、驚くべき恵みの養いをなさるお方です。主の驚くべき恵みの養いを信じ、小さなことに失望せず、主の御業のために喜んでお捧げいたしましょう。