聖書のメッセージ


2017年10月8日(日曜)

聖霊降臨節第19主日
  中谷信希神学生

「イエスの食卓に招かれる」
聖書 マルコ2章13−17節


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イエスは、再び湖のほとりに出て行かれた。群衆が皆そばに集まって来たので、イエスは教えられた。 そして通りがかりに、アルファイの子レビが収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。イエスがレビの家で食事の席に着いておられたときのことである。多くの徴税人や罪人もイエスや弟子たちと同席していた。実に大勢の人がいて、
イエスに従っていたのである。ファリサイ派の律法学者は、イエスが罪人や徴税人と一緒に食事をされるのを見て、弟子たちに、「どうして彼は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」
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イエス様はある日、徴税人レビを弟子にされました。イエス様の時代には、徴税人は軽蔑され、卑しい者とされていました。その徴税人のレビをイエス様はお呼びになりました。その時、レビは立ち上がってイエス様に従って行きました。そのレビの家でイエス様は食事をされることがありました。その食事の席には、レビのような徴税人や罪人と言われていた人が大勢いました。イエス様はレビだけでなく、他の徴税人、罪人も招いておられました。
イエス様は罪人を招くために来られた方です。聖書は全ての人が罪人だと言います。イエス・キリストは罪人を招くために来られました。レビを招いたのは罪人を招くために来たということを示すためでした。わたしたちも罪人であり、わたしたちをイエスさまは招かれます。イエス様の招きに応えて従う者はイエス様の食卓に着くのです。クリスチャンの方は、それぞれどこかで「わたしに従いなさい」という主イエスの招きに応えたことがあるはずです。そうして主イエスに従う者として教会の礼拝に集まっておられます。
教会はイエスの食卓を表しています。わたしたち信仰者は主の食卓に招かれて養われていきます。主の晩餐は主イエスの食卓を特にはっきりと表している目に見えるしるしです。わたしたち教会で主の晩餐を行います。そこで、わたしたちはパンを食べ、杯を飲むことによってキリストとつながり、養われます。わたしたちは主の晩餐でキリストの体と血に与って、主が共におられることを体験するのです。わたしたちは神の言葉によっても養われます。教会では神の言葉が語られます。神の言葉はわたしたちの霊的な糧です。
わたしたちが霊の糧をいただく主の食卓にはイエス様が共におられます。わたしたちはそのキリストにつながって生かされます。そこにいる人たちはわたしたちの仲間です。イエス様がレビの家で食事をした時にはイエス様の弟子、多くの徴税人、罪人がいました。主の食卓は招かれて従って来た全ての神の民のためのものなのです。主の食卓は仲間と共に養われることを体験するところです。イエス様の食卓で与えられる命の糧を互いに味わい、養われるのです。
わたしたちは共に集い神の恵みに与り、生かされます。この世は、キリストを信じて生きて行くには荒れ野のような厳しい環境です。だからこそ、わたしたちはキリストによって与えられる糧をいただきながら、そして食卓に共に集って仲間と励まし合いながらこの世を旅して行くのです。
主の恵みを受けて、キリストの平和を持って、わたしたちは再びこの世に遣わされて行きましょう。主イエスの恵みが皆さんと共にありますように。