聖書のメッセージ


2017年9月10日(日曜)

聖霊降臨節第15主日
北千住教会 持田嗣生牧師

「恐れるな、ただ信じなさい」
聖書 マルコ5章21−24節
   マルコ5章35−43節


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 イエスが舟に乗って再び向こう岸に渡られると、大勢の群衆がそばに集まって来た。イエスは湖のほとりにおられた。 会堂長の一人でヤイロという名の人が来て、イエスを見ると足もとにひれ伏して、しきりに願った。「わたしの幼い娘が死にそうです。どうか、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、娘は助かり、生きるでしょう。」 そこで、イエスはヤイロと一緒に出かけて行かれた。大勢の群衆も、イエスに従い、押し迫って来た。
    マルコ5章21節−24節 聖書・新共同訳
 イエスがまだ話しておられるときに、会堂長の家から人々が来て言った。「お嬢さんは亡くなりました。もう、先生を煩わすには及ばないでしょう。」イエスはその話をそばで聞いて、「恐れることはない。ただ信じなさい」と会堂長に言われた。そして、ペトロ、ヤコブ、またヤコブの兄弟ヨハネのほかは、だれもついて来ることをお許しにならなかった。 一行は会堂長の家に着いた。イエスは人々が大声で泣きわめいて騒いでいるのを見て、 家の中に入り、人々に言われた。「なぜ、泣き騒ぐのか。子供は死んだのではない。眠っているのだ。」 人々はイエスをあざ笑った。しかし、イエスは皆を外に出し、子供の両親と三人の弟子だけを連れて、子供のいる所へ入って行かれた。 そして、子供の手を取って、「タリタ、クム」と言われた。これは、「少女よ、わたしはあなたに言う。起きなさい」という意味である。 少女はすぐに起き上がって、歩きだした。もう十二歳になっていたからである。それを見るや、人々は驚きのあまり我を忘れた。イエスはこのことをだれにも知らせないようにと厳しく命じ、また、食べ物を少女に与えるようにと言われた。
    マルコ5章35節−43節 聖書・新共同訳
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主イエスがゲラサ人の地からユダヤ人たちの地に戻って来られると、会堂長ヤイロが来て「わたしの幼い娘が死にそうです。どうぞ、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、娘は助かり、生きるでしょう」と願いました。会堂長は、会堂の管理、礼拝の準備等をし、また会堂を中心とするユダヤ人共同体の要としての人でした。
ヤイロは、主イエスが悪霊を追放し諸々の病を癒し、神の恵みの御業をなさっておられることを聞いていたでしょう。またファリサイ派の人やヘロデ派の人々がイエスを、神に背いている人として殺そうとしていること、またエルサレムから来た律法学者たちが、イエスは悪霊の頭によって悪霊を追い出していると言っていたことも聞いていたでしょう。ヤイロは自分の立場を考えつつも、娘が瀕死の状態になっている中で、娘の癒しを期待できる方は主イエス以外にはなく、主イエスの所に来て癒しを願ったのでしょう。
イエスはヤイロと一緒に出かけられましたが、途上で12年間の出血を患っている女の人のいやしをされ、時は過ぎて行きました。イエスが未だこの女に話しておられる時に、ヤイロの家から人々が来て、「お嬢さんはなくなりました。もう、先生を煩わすことはないでしょう」と言いました。
ヤイロは、絶望したことでしょう。死は人間にとって決定的な力を持っている最大の恐るべきものです。死はどんな人をも飲み込んでしまいます。ヤイロは娘を捕えた死を決定的な力として恐れ、絶望の淵に投げ込まれたことでしょう。しかしこれを聞いておられた主エスはヤイロに『恐れることはない。ただ信じなさい』と告げ、死を恐れることをしないで、主イエスご自身を信じるようにと招かれたのであります。
一行がヤイロの家に着くと人々が大声で泣きわめき騒いでいました。ヤイロの娘の死を悲しみ悼んでいたのです。しかし主イエスはその真っ只中で『子供は死んだのではない。眠っているのだ』と言われました。人々はあざ笑ったとあります。娘は完全に死んでいるのですから、嘲笑ったのでしょう。しかし主イエスにとっては、人の死はすべて「眠り」なのであります。何故なら、主イエスは、死人に呼びかけることにおいて、死人を復活へと呼び覚ますことの出来るお方だからであります。
主イエスは、子供の手を取って「少女よ、わたしはあなたに言う。起きなさい」と言われると、少女は起き上がり歩き出しました。人々は驚きのあまり我を忘れたとあります。
わたしたちは死を決定的な力として恐れ、死の力によって絶望させられます。しかし主は「恐れるな、わたしを信じなさい」と、死から呼び出して生かすことの出来るご自身を信じて生きるようにと招いておられるのであります。