聖書のメッセージ


2016年3月6日(日曜)

受難節第4主日礼拝
北千住教会 持田嗣生牧師

「神の証人イエス」
聖書 ヨハネ18章28−40節


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   イエスはお答えになった。「わたしの国は、この
 世には属していない。もし、わたしの国がこの世に
 属していれば、わたしがユダヤ人に引き渡されない
 ように、部下が戦ったことだろう。しかし、実際、
 わたしの国はこの世には属していない。」そこでピ
 ラトが、「それでは、やはり王なのか」と言うと、
 イエスはお答えになった。「わたしが王だとは、あ
 なたが言っていることです。わたしは真理について
 証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。
 真理に属する人は皆、わたしの声を聞く。」ピラト
 は言った。「真理とは何か。」
       ヨハネ18章36−38節 聖書・新共同訳
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 ゲッセマネの園で逮捕された主イエスは先ず、大祭司の舅
アンナスの許に連行され尋問を受けられました。その後大祭
カイアファのところに連行され、その後総督ピラトの官邸に
連行され、尋問を受けられました。ピラトは主イエスの罪状
について、連行したユダヤ人たちと遣り取りをし、その後ピ
ラトと主イエスとの遣り取りが記されています。
 ピラトは主イエスについて、訴えられているようなローマ
への反逆罪を認めることは出来ませんけれども、ユダヤ人た
ちは主イエスをローマ人の手によって十字架につけさせよう
と執拗にピラトに圧力をかけていることが記されています。
こうしたユダヤ人たちの執拗な行動ですが、主イエスがこの
ようにして十字架につけられることになるのは、既に主イエ
スご自身が「わたしは、地上から上げられる時、全ての人を
自分のもとへ引き寄せよう」(12章32節)と言われた言葉が実
現するためであるとあり(32節)、このことが神の御心に従っ
て主イエスご自身が引き受けられることであると注釈がつけ
られています。聖書は主イエスの十字架の出来事が神の御心
から出、主イエスがご自身に引き受けられることとして記し
ていることに注目しましょう。
主イエスはピラトとの遣り取りの中で、『わたしの国はこの
世に属さない』と言われました。するとピラトは『それでは、
やはり王なのか』と言います。主イエスはそれについては否
定をせず、『わたしは真理について証しをするために生まれ、
そのためにこの世に来た。真理に属する者は皆、わたしの声
を聞く』と言われます。それを聞いたピラトは『真理とは何
か』と尋ねました。
 主イエスが言われる「真理」とは旧約に記されている神の
真実を示す言葉から来ており、「神の言葉と神の御業」を指
している言葉です。詩編 119編86節には「あなたの戒めはす
べて確かです」とあり、また 160節には「御言葉の頭はまこ
とです。あなたはとこしえに正しく裁かれます」とあり、ま
た詩編19編10節には「主の裁きはまことで、ことごとく正し
い」とあります。「確かです」「まことです」は「真実」と
いう語が使われており、神の真実を指しています。このよう
に主イエスが「真理」と言っておられる言葉は、「神の言葉
と御業」を指しており、主イエスが父なる神の証人であるこ
とを示しています。主イエスは「父とわたしは一つである」
(10章30節)、また「わたしを見た者は父を見たのだ」(14章
9節)と言い、神の証人だと言っておられます。
 主イエスこそ、わたしたちを造り愛し保持しておられる主
なる神のただ一人の証人であります。自分のこと、また他者
のことを考える時、わたしたちの父なる神の証人である主イ
エスの言葉と主の御業により受け止めさせて頂きましょう。