聖書のメッセージ


2016年2月21日(日曜)

受難節第2主日礼拝
北千住教会 持田嗣生牧師

「父がお与えくださった杯」
聖書 ヨハネ18章1−11節


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   イエスはペトロに言われた。「剣をさやに納めな
 さい。父がお与えになった杯は、飲むべきではない
 か。」
             ヨハネ18章11節 聖書・新共同訳
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 今年の受難節は 2月10日(水)から 3月26日(土)までと
なっており、 3月27日が復活日礼拝となります。特にこ
の間、わたしたちの贖いのための主の受難に思いを向け
つつ歩ませていただきたく思います。
 最後の晩餐で、弟子たちの足を洗い、聖霊の授与、主
の名による祈りなどについて語り、ご自分の使命につい
て祈られた主イエスは、弟子たちと共にキドロンの谷の
向こうにある園に入って行かれました。この園はたびた
び弟子たちと共に集まられた場所であり、主イエスは追
手が間もなくここにやって来ることは知っておられまし
たが、この事態を恐れることもなく、引き受けようとし
ておられる姿を示しています。
 そこにユダが一隊の兵士と、祭司長やファリサイ派の
人々が遣わした下役たちを先導してやって来ました。彼
らは松明、ともしび、そして武器を手にしていました。
ローマ兵の一隊は通常1千人でしたが、時に2百人の小
隊を指すこともあったと言われます。それにユダヤ人た
ちの警備隊も一緒に遣って来ました。ローマ政府とユダ
ヤ人当局の協力による真に物々しい一隊でありました。
 主イエスは自ら進み出て、『誰を捜しているのか』と
言われると、彼らは『ナザレのイエスだ』と言いました。
主イエスが『わたしである』と言われると、彼らは後ず
さりし、地に倒れたとあります。『わたしである』とい
う語は8章でも確認しましたように、モーセが神の顕現
に与った時、神が告げられたご自分の名でありました。
ですから主イエスが『わたしである』と言われた時、主
イエスにおいて神ご自身がそこにおられたのであります。
ローマ政府とユダヤ人当局の物々しい一隊も主イエスの
前には全く無力な存在でしかないことが示唆されていま
す。
主イエスが改めて『誰を捜しているのか』と言われると、
彼らは『ナザレのイエスだ』と言いました。主イエスは
『わたしを捜しているのなら、この人たちを去らせなさ
い』と言われました。このことは17章9節の「あなたが
与えてくださった人を、わたしは一人も失いませんでし
た」という主イエスの言葉が実現したことだと言われて
います。ご自分を差し出すことによって、ご自身の羊の
命を救われる主イエスの姿を現しております。
 この時ペトロは大祭司の手下の右耳を切り落としてし
まいました。主イエスはペトロに向かって『剣を納めよ。
父がお与えになった杯は飲むべきではないか』と言い、
このような危機的事態についても神の恵みのご支配を信
じ、神の御心に従われたことを示しています。
 わたしたちも、危機的な事態に遭遇する時、神と一つ
なる主イエスのご支配を信じ、主に祈りつつ歩みましょ
う。