聖書のメッセージ


2016年2月7日(日曜)

降誕節第7主日礼拝
北千住教会 持田嗣生牧師

「病苦のもとにあっても」
聖書 ヨハネ11章1−16節


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   こうお話しになり、また、その後で言われた。
 「わたしたちの友ラザロが眠っている。しかし、わ
 たしは彼を起こしに行く。」弟子たちは、「主よ、
 眠っているのであれば、助かるでしょう」と言った。
 イエスはラザロの死について話されたのだが、弟子
 たちは、ただ眠りについて話されたものと思ったの
 である。そこでイエスは、はっきりと言われた。
 「ラザロは死んだのだ。わたしがその場に居合わせ
 なかったのは、あなたがたにとってよかった。あな
 たがたが信じるようになるためである。さあ、彼の
 ところへ行こう。」
       ヨハネ11章11−15節 聖書・新共同訳
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 ベタニアのマルタ、マリアは、ヨルダン川の東側に行って
おられる主イエスの所に遣いを送り、「主よ、あなたの愛し
ておられる者が病気です」と伝えました。20キロ以上もあ
る所に居られる主イエスに連絡をしたのですから、ラザロは
重篤な状態にあったのでしょう。
 すると主イエスは『この病気は、死で終わるものではない。
神の栄光のためである。神の子がそれによって栄光を受ける
のである』と言われました。重篤な病気は人を死に至らせま
す。しかし主イエスは言われます。この病気は神の栄光を現
すためであり、また主イエスご自身がこの病気によって栄光
を受けることになる、と言われるのであります。
 ここで言及されている「神の栄光」、「主イエスが受けら
れる栄光」とはどのようなものでしょうか。ヨハネ福音書1
章14節に、「言は肉となってわたしたちの間に宿られた。
わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄
光であって、恵みと真理に満ちていた」とあります。主イエ
スの栄光は、恵みと真理(真実の意もあり)に満ちていること
であり、神の栄光は神の独り子主イエスの栄光に現されてい
ると言われています。ラザロを苦しめているこの病気は、神
の満ち満ちた恵みと真実が主イエスにおいて現されるためで
あると言われるのであります。
 これは、病気についての主エスの固有の知であります。主
イエスしか知り得ないし、語り得ない驚くべき知であります。
この後に起こる出来事に耳を傾けましょう。
 主イエスは弟子たちに『もう一度ユダヤに行こう』と言わ
れました。弟子たちは言います。『先生、ユダヤ人たちがつ
いこの間もあなたを石で打ち殺そうとしたのに、またそこへ
行かれるのですか』 主イエスは、神が設定された時の中で
歩み生きるべきことを告げ、死んでしまったラザロを起こし
に行く、と言われたのであります。これを聞いたトマスは、
他の弟子たちに『わたしたちも一緒に行って死のうではない
か』と言いました。ユダヤへ行くということは主イエスの死
を意味することでありました。
 主イエスは、死んだラザロを復活させる、と言われます。
このことこそ主イエスによって与えられる神の恵みでありま
す。更に主イエスはラザロを復活させるためにご自身の命を
も差し出されます。ここに主イエスにおいて現される神の真
実が現れております。そしてこのことが、主イエスが受けら
れる栄光であり、また神の栄光であると言われています。
 わたしたちは病気や種々の労苦に苦しむ者です。しかし主
イエスは、それらは神の恵みと真実が、ご自分の恵みと真実
において現されるためだ、と告げておられます。そのように
語られる唯一の主イエスの言葉に聞きつつ歩みましょう。