聖書のメッセージ


2016年1月24日(日曜)

降誕節第5主日礼拝
北千住教会 持田嗣生牧師

「最強のキリストの御手」
聖書 ヨハネ10章22−30節


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   わたしは彼らに永遠の命を与える。彼らは決して
 滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはで
 きない。わたしの父がわたしにくださったものは、
 すべてのものより偉大であり、だれも父の手から奪
 うことはできない。わたしと父とは一つである。」
       ヨハネ10章28−30節 聖書・新共同訳
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 神殿奉献記念祭の時に主イエスが神殿のソロモンの回廊
を歩いておられると、ユダヤ人たちがイエスを取り囲み、
「もしメシアなら、はっきりそう言いなさい」と言ったと
あります。神殿奉献記念祭は、シリアの王アンテオコス・
エピファネスが紀元前 170年にエルサレムを占領し、神殿
の祭壇にゼウスをまつり、神殿を売春宿としました。しか
し紀元前 165年ユダス・マッカバイオスがシリア軍を破り、
エルサレムを奪還し神殿を清めて奉献したことを記念する
お祭りでした。しかしユダヤは紀元前63年からローマの属
領とされていました。ですからこのお祭りの時にはユダヤ
人たちのローマからの独立を求める思いは燃えており、こ
の主イエスへの言葉はローマからの解放を促す意味を持っ
ていました。ユダヤ人のこうした思いは5千人の給食の後、
「イエスは自分を王のするために連れて行こうとしている
のを知り、一人でまた山に退かれた」( 6章15節)というこ
とにも表されています。
 ユダヤ人たちのこの言葉に対して、主イエスは「わたし
は言ったが、あなた方は信じない。わたしが父の名によっ
て行う業がわたしについて証ししている。しかしあなたた
ちは信じない。あなたがたはわたしのものではないからで
ある」と言われました。主イエスは、すでにメシアとして
の働きをしておられるけれどもユダヤ人たちは信じません。
それはユダヤ人たちが主イエスのものではないという理由
によるのだ、と言われています。主イエスは繰り返し、父
がわたしに与えて下さった人に対してわたしは御業を成す
のだと言っておられます(6:37,39,44,65等参照 )。父なる
神と一つなるお方として働いておられることが告げられて
います。
 そして主イエスは、父なる神がご自身の羊として与えて
おられる人々については「わたしの羊はわたの声を聞き分
ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う」
と言い、更に彼らに「永遠の命を与え」る、と告げられま
した。
 そして29節では、「わたしの父がわたしにくださったも
のは、すべてのものより偉大であり、だれも父の手から奪
うことはできない」と言われました。「わたしの父がわた
しに下さったもの」とは、主イエスの羊とされた人を指し
ています。その人は父なる神が主イエスに与えられた者で
あり、また主イエスがご自身の命を捨てることにおいて贖
い取られたかけがえのない人であることを指しています。
こうして主イエスは、ご自身が神から遣わされたメシアと
しての業を成していることを告げておられます。
 わたしたちは今、恵みにより主イエスの何よりも強く確
かな救いと交わりの中に入れられていることを信じ感謝し、
主にある恵みの故に他のいかなるものをも恐れることなく、
主の御言葉に従う歩みに日々勤しみましょう。