聖書のメッセージ


2016年1月17日(日曜)

降誕節第4主日礼拝
北千住教会 持田嗣生牧師

「比類のない牧者」
聖書 ヨハネ10章1−21節


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   わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のた
 めに命を捨てる。
            ヨハネ10章11節 聖書・新共同訳
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 1−6節において主イエスは、ご自身と信仰者との関係を
羊飼いと羊との親密な関係において語り、続いて7節以下
でその内容について語っておられます。
 主イエスは、父なる神から遣わされてこの世に来たご自
身の目的は、羊が豊かな命を受けるという、この一事のた
めだと言われます(10節)。どのようにして豊かな命が与え
られるのでしょうか。主イエスは「わたしは良い羊飼いで
ある。良い羊飼いは羊のために命を捨てる」と言われます。
これは主イエスが十字架の死によってご自身の民の罪をご
自分の身に引き受けることにおいて、ご自分の民をその罪
とその結果である死から救い出すことを告げております。
このことはバプテスマのヨハネが、主イエスを指し示して
『見よ、世の罪を取り除く神の小羊』と言ったとおりであ
ります。またこのことは預言者イザヤによって語られてい
たことの成就でもあります(イザヤ書53章参照)。
 更に14−15節には「わたしは良い羊飼いである。わたし
は自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。それ
は、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っている
のと同じである」と言われました。「知る」は認識だけで
はなく、愛と信頼による交わりを指しています。父なる神
は主イエスを、ご自分を証しする比類のないお方として知
っておられ、そのようなお方として係っておられるのであ
ります。他方主イエスは、父なる神をご自身の愛と恵みの
証人として自分を遣わし、そのことを全うさせるお方とし
て知っておられるのであります。そのように、主イエスは
ご自身を信じる者を、ご自身を証しする証人として遣わし
ておられることを知っておられ、他方信仰者は、主イエス
を、ご自身の証しのために自分を遣わし、その使命を全う
させるお方として知っている、と言っておられます。主イ
エスと信仰者は、このような比類のない人格的応答関係に
あると言われるのであります。
 主はこのように、十字架の贖いの御業を成し、豊かな命
に生きることを得させる良い羊飼いだと言っておられます。
 私たちは9章1節以下で、生まれつき目の見えない人に
ついて弟子たちが「本人の罪の故ですか、両親の罪の故で
すか」と尋ねると、主イエスは彼に神の御業が現れるため
だと言われました。そして実際に主イエスはこの人の目を
開き、主イエスを証しする人とされたのでありました。誰
もこの人のことを罪の結果だと思うことしかできなかった
のですが、主イエスは神の御業が現れる人として知ってお
られ、またそのようになさった比類のないお方であります。 
 わたしたちの姿が、罪の結果としか見えなくても、主イ
エスは神の御業が現れる人として知っておられ、またその
ようになさる比類のないお方であることを信じて歩みまし
ょう。