聖書のメッセージ


2016年1月3日(日曜)

降誕節第2主日礼拝
北千住教会 持田嗣生牧師

「東方の学者たちの礼拝」
聖書 マタイ2章1−12節


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   彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た
 星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止
 まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。
 家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。
 彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄
 金、乳香、没薬を贈り物として献げた。ところが、
 「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあった
 ので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。
           マタイ2章9−12節 聖書・新共同訳
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 イエス・キリストがユダヤのベツレヘムでお生まれになっ
たとき、「占星術の学者たちが東の方から来た」とあります。
彼らは古くから広大な領域を支配する王の輩出した東方から
星と聖書の言葉に導かれて、幼児イエスにお会いするために
ベツレヘムにやって来たのでした。彼らは強大な権力を持つ
王たちの政治を経験し、また見て来たことでしょう。またロ
ーマ皇帝の権力についてもヘロデ大王のことについても聞い
ていたでしょう。しかし彼らは、神が遣わすと預言者を通し
て告げ、約束しておられた王に会うためにベツレヘムに遣っ
て来ました。まことに不思議なことであります。
 彼らが目的地に着き家に入ると、「幼児は母マリアと共に
おられた」とあります。彼らが見だのは「母と共にいる幼児」
でした。このことは大として何の変哲もない、当たり前の姿
ではないでしょうか。しかしこの姿こそ、救い主イエス・キ
リストの真実を示している姿でありました。
 この姿はすべての人の原点なる姿ではないでしょうか。生
まれる時、既に父親はいない大がいるでしょう。しかし母と
共にいる時を持だない大は一人もありません。このお方の姿
は言語や立場の相違、貧富の違い、義人、罪人等など、人の
あらゆる相違を超えている姿であります。このお方の姿は、
実にご自分をすべての人の原点において結び付けておられる
ことを示しているのではないでしょうか。この学者たちはこ
のお方に、真に神の恵みの支配をもたらす王であり、その民
のためにとりなしをする祭司であり、全ての人の蹟いのため
に命を差し出すお方すなわち、黄金、乳香、没薬を献げるべ
きお方として礼拝したのであります。
 この幼子が真にすべての人の王なる救い主として礼拝され
るべきお方であることはマタイによる福音書25章31節以下で
も示されています。「お前たちは、わたしが飢えていた時に
食べさせ、渇いている時に飲ませ、旅をしている時に宿を貸
し、裸の時に着せ、病気の時に見舞い、牢にいた時に訪ねて
くれた。 ・・・わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者
のひとりにしたのは、わたしにしてくれたのである。そして
更に言われました。これらの最も小さい者のひとりにしなか
ったのは、わたしにしてくれなかったことなのである、と。
主イエスは真に、すべての大にご自身を結び付けておられる
お方であることを告げておられます。
 わたちたちは立場や能力の違いに捕らわれ、或は思い上が
りたり、卑屈になったり、馬鹿にしたりねたんだり、人間に
よる価値観に支配されます。しかし主がわたしたちにご自身
を結び付けておられるのは、わたしたちの生の原点、存在の
原点においてであることを覚え、主イエスによって自己をま
た他者を受けとめたいのであります。