聖書のメッセージ


2015年11月29日(日曜)

待降節第1主日礼拝
北千住教会 持田嗣生牧師

「主なる神を見る目を」
聖書 ヨハネ9章35−41節


------------------------------------------------
   彼が、「主よ、信じます」と言って、ひざまずく
 と、イエスは言われた。「わたしがこの世に来たの
 は、裁くためである。こうして、見えない者は見え
 るようになり、見える者は見えないようになる。」
         ヨハネ9章38−39節 聖書・新共同訳
------------------------------------------------

 
 ただ今読まれましたヨハネによる福音書9章35−41節は、
9章1節以下とつながっていますので、9章1節以下に記さ
れていることを振り返りつつ聞きましょう。
 生まれっき目の見えない人に主イエスが目を向けられると、
弟子たちは「この人が生まれっき目が見えないのは誰が罪を
犯したからですか。本人ですか。それとも両親ですか」と尋
ねました。主は「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯
したからでもない。この人に神の御業が現れるためである」
と答えられました。耐え難いこの人の労苦を神の栄光が現れ
るためであると誰が知っていたでしょうか。主イエスのみで
あります。そして主イエスはこの人についてご自身が知って
おられ言われたとおりにこの人の目を開き、この人に神の御
業を現されたのでありました。
 こうして主イエスにより目の開かれたこの人は主イエスを
証言する人とされました。
 1.近所の人や物乞いをしていたことを知っている人々がど
うして見えるようになったのかと聞きますと、この人はイエ
スという人が言われた通りにしたら見えるようになったと言
い、人々は「その人は何処にいるのか」、と主イエスに思い
を向ける人になったのであります。
 2.ファリサイ派の人々は自分たちの信仰では主イエスの御
業を理解できず、この人に「お前はどう思うか」と尋ねまし
た。この人は「預言者です」と証言しました。
 3.主イエスを殺そうと機会を狙っていた指導者である「ユ
ダヤ人たち」は、「イエスは罪人だ」と主張するのですが、
その人々の真っ只中で、この人は、イエスは神から遣わされ
た方です、と告白証言したのであります。その結果ユダヤ人
たちはこの人を会堂から追放したのでありました。
 こうした中で、主イエスはこの人に会い、「あなたは人の
子を信じるか」と尋ねられました。「人の子」とは。主イエ
スのご自分についての呼称であり、神から遣わされ、十字架
にかかり復活して神の右に上げられる救い主を意味していま
す。するとこの人は「主よ、誰がその方ですか」と尋ねまし
た。主は「あなたは、もうその人を見ている。あなたと話し
ているのがその人だ」と言われると、この人は主イエスの前
にひれ伏しネL拝したしました。こうしてこの人は主イエスに
より目が開かれ、主イエスにおいて主なる神を見る人とされ、
そのことを証言する人にされたのであります。主はご自身の
知と言葉通りにこの人に神の御業を現されました。
 主は、今「何故ですか」と間わざるを得ない労苦のもとに
あるわたしたちにも神の恵みの御業を成し、主なる神を見る
者とし、この比類のない恵みの証人とされるお方であること
を信じ、主に或る希望の内に歩みましょう。