聖書のメッセージ


2015年11月22日(日曜)

降誕前第5主日礼拝
北千住教会 持田嗣生牧師

「イエスにおける神の働き」
聖書 ヨハネ9章13−34節


------------------------------------------------
   尋ねた。「この者はあなたたちの息子で、生まれ
 つき目が見えなかったと言うのか。それが、どうし
 て今は目が見えるのか。」両親は答えて言った。
 「これがわたしどもの息子で、生まれつき目が見え
   なかったことは知っています。しかし、どうして
   今、目が見えるようになったかは、分かりません。
   だれが目を開けてくれたのかも、わたしどもは分
   かりません。本人にお聞きください。もう大人で
   すから、自分のことは自分で話すでしょう。」
         ヨハネ9章19−21節 聖書・新共同訳
------------------------------------------------

 
 先週わたしたちは、主イエスが生まれつき目の見えない人
について、「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯した
からでもない。神の業がこの人に現れるためである」と告げ、
更に彼の眼を開かれたことを聞きました。真に驚くべきこと
でありますが、主イエスは労苦の下にあるこの人を神の御業
が現されるための人として知っておられ、更にご自身の、彼
についての知と言葉を成就なさったことを聞きました。
 今読まれたヨハネ9章13−34節でも、この人についての主
イエスの知と言葉が成就する経緯が記されています。
 (1)8節−12節には、近所の人や物乞いをしていたことを知
  っていた人々が、どうして目が見えるようになったのか
  と尋ねると、この人は、イエスという方が告げられたと
  おりにすると目が見えるようになった、と告白証言しま
    した。こうしてこの人々は「その人はどこにいるのか」
    と言い、主イエスに思いを向け、主を捜す人とされたの
    であります。
 (2) 次に13−17節では、この人々はこの人を、日頃から生
    活の指導をしているファリサイ派の人々の所に連れて行
    きました。ファリサイ派の人々の中には、安息日に土を
    こねて目に塗っていやすことは律法違反とし、イエスを
    罪人とする人もあり、また、罪がある人がどうしてその
    ような業を成すことが出来るだろうかと主張する人もあ
    りました。ファリサイ派の人々の従来の考え方では対応
    できず、目をいやされた人自身の見解を尋ねました。す
    るとこの人は「あの方は預言者です」と告白証言したの
    であります。
 (3) 18節以下では「ユダヤ人たち」のこの人との遣り取が
    記されています。因みに「ユダヤ人たち」とは、主イエ
    スを殺そうと時をねらっている、最高法院の人々を指し
    ているようです。彼らは、生まれつき目の見えない人の
    目が開かれたことを信じなかったので、両親にこのこと
    を確認しようとしました。両親は会堂から追放されるこ
    とを恐れて、自分の息子であること、生まれつき目が見
    えなかったことは証言しましたが、それ以外は息子に聞
    いてほしいと言ったとあります。こうした経緯でユダヤ
    人たちは改めてこの人自身に尋問しました。ユダヤ人た
    ちはこの人が「あの方は預言者です」と言ったことを撤
    回させようと圧力をかけますが、この人は、「あの方が
    神から来られたのでなければ、何もできなかったはずで
    す」と言い、主イエスが神から遣わされた方であること
    を告白証言しました。以上のように、主の言葉通り、神
    の御業がこの人に現れ、主を証言する人とされました。
 私たちも、なぜかかる労苦が!と問わざるを得ない事態に
遭遇しまナ。しかしその真っ只中で、主イエスは、労苦の下
にある私たちを主の恵みの御業が現れる者として知っておら
れ、そのことを成就なさることを信じて歩みましょう。