聖書のメッセージ


2015年11月01日(日曜)

降誕前第8主日礼拝
北千住教会 持田嗣生牧師

「神の都の姿を思いつつ」
聖書 ヨハネ黙示録22章1−5節


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   ヨハネからアジア州にある七つの教会へ。今おら
 れ、かつておられ、やがて来られる方から、また、
 玉座の前におられる七つの霊から、更に、証人、誠
 実な方、死者の中から最初に復活した方、地上の王
 たちの支配者、イエス・キリストから恵みと平和が
 あなたがたにあるように。わたしたちを愛し、御自
 分の血によって罪から解放してくださった方に、
     ヨハネ黙示録22章4−5節 聖書・新共同訳
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 私たちが「永遠の神の都」を信じるのは、主イエスが人の
生と死を越えた神の国を宣教し、ご自身の十字架の死と復活
を告げておられた事、またその言葉の通り、十字架にかけら
れ復活され、弟子たちに顕現し、聖霊を授与し、弟子たちが
主イエスの福音を信じて宣教に生きた事、そして私たち自身
がこの信仰に導かれたという事に基づいています。
 22章1節以下に、主イエスが遣わされた御使いによって、
ヨハネ黙示録の著者ヨハネに与えられた幻について記されて
います。1節に「神と小羊の玉座から流れ出て水晶のように
輝く命の水の川を私に見せた」とあります。主イエスご自身
が「私が与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る
水が湧き出る」(ヨハネ4:14)と言われましたから、この命
の水は聖霊を指しているでしょう。この聖霊によって命の木
は年に12回実を結び、人々を養いまた病をいやすのでありま
す。堕罪によって食べられなくなっていた命の木の実が自由
に食べられる状態になっていると告げられています。
 3節には「もはや、呪われるものは何一つない」とありま
す。エデンの園でアダムとエバを誘惑し、呪われるものとな
ったサタンはもはや居ないのであります。
 「神と小羊の玉座が都にあって」とあり、神と小羊の恵み
に満ちた全き支配が告げられています。
 「神の僕たちは神を礼拝し、御顔を仰ぎ見る」とあります。
神の都の「神の僕」とあるように、人は神に従うのでありま
す。かつては神を仰ぎ見ることの出来なかった者が今や神を
礼拝し神との交わり内に生きているのであります。
 「彼らの額には神の名が記されている」とあります。神が
ご自身の名を人の額に記し、私のものだと主張しておられま
す。私たちは自分が神のものであるか否かを疑い、他者も疑
うことでしょう。しかしここでは神の愛と神の恵みにより、
神の名が一人一人の額に記されており、もはや、誰も神のも
のであるか否かを疑う余地はないのであります。
 5節に「もはや、夜はなく、ともしびの光もいらない。神
である主が僕たちを照らし、彼らは限りなく統治する」とあ
ります。私たちの世界では当てられる光によって物の色が変
わります。サタンが誘惑すると、善悪を知る木はいかにもお
いしそうで、目を引き付け賢くなるようにそそのかしていた」
とありますが、神の都では神の恵みの光によって一切が照ら
されているのであります。見間違うことはないのです。そし
て神から与えられた「耕し守る」という使命(創世記2章15
節)が世々限りなく全うされる、と言われています。
 これらの姿は、主イエスと聖霊による神の働きにより私た
ちが今、与っている神の恵みの完成された姿であります。で
すから、今、与っている恵みの歩みにひたすら励みましょう。