聖書のメッセージ


2015年10月18日(日曜)

聖霊降臨節第22主日礼拝
北千住教会 持田嗣生牧師

「贖いに依らなければ」
聖書 ヨハネ8章39−47節


------------------------------------------------
   イエスは言われた。「神があなたたちの父であれ
 ば、あなたたちはわたしを愛するはずである。なぜ
 なら、わたしは神のもとから来て、ここにいるから
 だ。わたしは自分勝手に来たのではなく、神がわた
 しをお遣わしになったのである。わたしの言ってい
 ることが、なぜ分からないのか。それは、わたしの
 言葉を聞くことができないからだ。あなたたちは、
 悪魔である父から出た者であって、その父の欲望を
 満たしたいと思っている。悪魔は最初から人殺しで
 あって、真理をよりどころとしていない。彼の内に
 は真理がないからだ。悪魔が偽りを言うときは、そ
 の本性から言っている。自分が偽り者であり、その
 父だからである。しかし、わたしが真理を語るから、
 あなたたちはわたしを信じない。あなたたちのうち、
 いったいだれが、わたしに罪があると責めることが
 できるのか。わたしは真理を語っているのに、なぜ
 わたしを信じないのか。神に属する者は神の言葉を
 聞く。あなたたちが聞かないのは神に属していない
 からである。」
         ヨハネ8章42−47節 聖書・新共同訳
------------------------------------------------

 
 本日の箇所では、主イエスの父は誰であり、主イエスは誰
に属しておられるか、またユダヤ人始めわたしたち人間の父
は誰であり、人間は誰に属しているのかという、わたしたち
人間の本質的な事柄が取り上げられています。
 主イエスが「わたしは父のもとで見たことを話しているが、
あなたたちは父から聞いたことを行っている」と言い、ご自
分の父とユダヤ人たちの父が異なることを告げられると、ユ
ダヤ人たちは「わたしたちの父はアブラハムです」と言い、
アブラハムの子孫だと主張しました。
 すると主イエスは「アブラハムの子なら、アブラハムの業
をするはずだ」と言われました。アブラハムは神からの使者
が来ると歓迎し、その言葉を信じて生きる人となりました。
しかしユダヤ人たちは神が遣わされた主イエスを殺そうとし
ているのだから、アブラハムの子孫ではなく、別の父の子だ、
と言われました。ユダヤ人たちは「わたしたちは姦淫によっ
て生まれたのではありません」と言って、偶像崇拝をしてい
る者ではなく正統的な神の民だと主張しました。
 更に主イエスは、「神があなた方の父であれば、あなたた
ちは神が遣わされたわたしを愛するはずではないか。あなた
たちは、最初から人殺しであり、偽り者である悪魔の子なの
だ。だからあなたたちは悪魔の欲望を満たしたいと欲してい
るのだ。」と告げられました(創世記3章参照)。
 主イエスはユダヤ人たちに、「どうしてあなたたちは罪の
ないわたしに罪があると言って偽りを語り責めて殺そうとす
るのか。また、どうして真理(神の真実)を証ししているわ
かしを信じないのか。」と言われます。そして47節において、
その根本的原因について、それは「神に属する者は神の言葉
を聞く。あなたたちが聞かないのは神に属していないからで
ある。」と告げておられます。
 主イエスはこのように語り、ユダヤ人を始めわたしたちす
べての人間が、自分の力や知恵によって、主イエスが語り証
しされる神の真実を知って信じるということは全く不可能な
ことだ、と告げられたのであります。それでは誰が主イエス
を知り信じ救いに与るのでしょうか。
 主イエスが「あなたたちは、人の子を上げた時に初めて、
『わたしはある』ということ、また、わたしが自分勝手には
何もせず、ただ、父に教えられたとおりに話していることが
わかるだろう」(8:38)と言われました。主イエスの、罪人
の蹟いのための受難と死、神による主イエスの復活と昇天、
聖霊の授与という、比類のない神の恵みの御業によってのみ
人は救いに与るのだと告げられております。
 主イエスにおける比類のない神の恵みの御業を覚え感謝し
つつ、信仰の歩みにいそしみましょう。