聖書のメッセージ


2015年09月27日(日曜)

聖霊降臨節第19主日礼拝
北千住教会 持田嗣生牧師

「神と一つなるキリスト」
聖書 ヨハネ8章21−30節


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   そこで、イエスは言われた。「あなたたちは、人
 の子を上げたときに初めて、『わたしはある』とい
 うこと、また、わたしが、自分勝手には何もせず、
 ただ、父に教えられたとおりに話していることが分
 かるだろう。わたしをお遣わしになった方は、わた
 しと共にいてくださる。わたしをひとりにしてはお
 かれない。わたしは、いつもこの方の御心に適うこ
 とを行うからである。」これらのことを語られたと
 き、多くの人々がイエスを信じた。
         ヨハネ8章28−30節 聖書・新共同訳
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 主イエスは「わたしは去って行く。あなたたちはわたしを
捜すだろう。だが、あなたたちは、自分の罪のうちに死ぬこ
とになる。わたしの行くところに、あなたたちは来ることは
出来ない」(21節)と言われました。 「わたしは去って行
く」は、十字架にかけられ殺され、復活して父なる神のもと
に帰還されることを指しています。 「あなたたちはわたし
を捜すだろう」は、1章3節に「万物は言によって成った。
成ったもので言によらないものはなかった。」とありますよ
うに、主イエスこそ神の言なるお方であり、被造物の唯一の
拠り所なるお方です。従って、人は自己の拠り所なる主イエ
スを捜さずにおれないことが告げられています。 「だが、
あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる」は、自分の
罪の故に父なる神との交わりに与ることなく滅びることを言
っています(イザヤ59:1-2参照)。   「私の行くところ
に、あなたたちは来ることは出来ない」は、主イエスは神の
もとに帰還されますが、人は罪故に父なる神の所へ行くこと
は出来ず滅びる以外にないと告げられています。
 それでは、人は最早滅びる以外にないのでしょうか。「否」
です。主イエスが「わたしはある」というお方であることを
信じるか否かにかかっていると言われます。これを聞き、ユ
ダヤ人たちが「あなたはどなたですか」と尋ねると、主イエ
スは「それは初めから話していることだ」と言われました。
主イエスは神をご自分の父と呼び、またご自分を神の子と呼
んでおられます(5:10、5:25)。更に「わたしは遣わされた
父と共にいると」も言い、主イエスは繰り返しご自分が父な
る神と一つなるお方であることを語って来られました。
 そしてイエスは、あなたたちは人の子を挙げた時に初めて
「わたしはある」ということ、またわたしが自分勝手には何
もせず、ただ父に教えられたとおりこ話していることが分か
るだろうと言い、父と一つであることを告げられました
 「わたしはある」という言葉は父なる神の名であります
(出エジプト3:14)。主イエスはご自分が十字架にかけられ
殺され、神が主イエスを復活させ、救いの御業を実現された
時に、あなた方は、わたしにおいて父なる神がご自身を現し
ておられることを知り、わたしが「わたしはある」という者
であることを知るようになる、と言われました。そして、そ
のことが主イエスの十字架の死と復活において実現したこと
を聖書は告げております。
 わたしたちは、主イエスの十字架と復活おいて、父なる神
がご自身の救いの御業を実現し、ご自分を現しておられるこ
とを知りました。こうしてわたしたちは、主イエスが真に
「わたしはある」というお方であり、神と一つなるお方であ
ることを信じ告白しつつ生きるのであります。