聖書のメッセージ


2015年09月13日(日曜)

聖霊降臨節第17主日礼拝
北千住教会 持田嗣生牧師

「世の光なるキリスト」
聖書 ヨハネ8章12−20節


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   イエスは再び言われた。「わたしは世の光である。
 わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」
               ヨハネ8章12節 聖書・新共同訳
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 12節に「イエスが『私は世の光である』と再び言われた」
とあるのは、3章19−21節のことを指しています。
 主イエスは「わたしは世の光である。」と言われましたが、
第1に注目したいことは、「光」は、Tヨハネ1章5節に
「神は光である」とあり、また詩編27編1節に「主はわた
しの光」とあるように、神がどのようなお方であるかを説明
する神の述語として使われているということです。
 第2に注目したいことは、主イエスが「わたしは世の光で
ある」と言われたこの言葉は「主イエスの自己証言」である
ということです。主は『わたしは天から下って来たパンであ
る』(6:51)、『わたしは門である』(10:9)、『わたしは父と
一つである』(10:30)、『わたしは良い羊飼いである』(10:11)
『わたしは道であり、真理であり、命である。わたしによら
ないではだれも父のもとに行くことは出来ない』(14:6)。
『わたしは真のぶどうの木』(5:1)等などです。これらの自
己証言は、主イエスが神から遣わされた、神と一つなる、唯
一の神の証言者であることを示しています。
 第3に注目したいことは、主イエスが言っておられる「光」
の意味です。すでに見て来たように、この主イエスの言葉は、
40年にわたるエジプトから約束の地へと向かうイスラエル
の民の旅路に、神が「昼は雲の柱、夜は火の柱」において伴
われたのですが、この光としての神の現臨と働きを記念し想
起するお祭りである、「仮庵の祭り」に際して語られた言葉
であるということです。わたしたちは、エジプトから約束の
カナンの地への旅路における光としての神のありようから三
つのことを知ることが出来ます。
 1、出エジプト記13章21節に「昼は雲の柱、夜は火の柱が
   彼らを離れることはなかった。」とあります。神は光
   として旅路の初めから終わりまでイスラエルの民に伴
   い、マナ,鶉、水を与えて養われました。
 2、出エジプト記13章21節に「主は彼らに先立って進み、
   昼は雲の柱をもって、夜は火の柱をもって彼らを照ら
   されたので、彼らは昼も夜も行進することが出来た」
   とあります。神は光として伴い、自ら民を約束の地へ
   と導かれました。
 3、出エジプト記14章14節に「主があなたたちのために戦
   われる。あなたたちは静かにしていなさい。」とあり
   ます。エジプト軍が後ろから迫って来た時、雲の柱が
   両陣営の間に立ち、エジプト軍はから民を守られまし
   た。
 光としてご自身の民イスラエルの旅路に伴われた神のよう
に、主イエスは世の光であって、わたしたちの旅路に何時も
伴い、養い、そして歩むべき道へと導き、更にあらゆる危険
から守って約束の地に導いてくださるお方であると告げてお
られるのです。この主の恵みを信じて歩みましょう。