聖書のメッセージ


2015年08月16日(日曜)

聖霊降臨節第13主日礼拝
北千住教会 持田嗣生牧師

「交わりに生きるいのち」
聖書 ヨハネ7章37−39節


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 ◆生きた水の流れ
   祭りが最も盛大に祝われる終わりの日に、イエス
 は立ち上がって大声で言われた。「渇いている人は
 だれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わた
 しを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人
 の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」
 イエスは、御自分を信じる人々が受けようとしてい
 る“霊”について言われたのである。イエスはまだ
 栄光を受けておられなかったので、“霊”がまだ降
 っていなかったからである。
          ヨハネ7章37−39節 聖書・新共同訳
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 37節に「祭りが最も盛大に祝われる終わりの日に、イエ
スは立ち上がって大声で言われた」とありますが、この祭り
は「仮庵の祭り」でした。この祭りには3つの意意味があり
ました。第1は、エジプトから解放されて約束のカナンの地
への、神の養いの中での仮庵による旅を想起することでした
(レビ23:43参照)。第2は、ぶどう、オリーブ等、諸々の
果実の収穫を神に感謝すること。第3は、祭司がシロアムの
池から金の水指で水を汲み祭壇に注ぎ、この後の麦蒔きのた
めの雨を待ち望む祭儀をし、この時人々はイザヤ書12章3
節以下の「あなたたちは喜びの内に水を汲む。その日には、
あなたたちは言うであろう。『主に感謝し、御名を呼べ。諸
国の民に御業を示し、気高い御名を告げ知らせよ』」という
言葉を唱えました。このように、終末における神の救いの御
業を待ち望む祭りでもありました。
 このときに主イエスは『渇いている人はだれでも、わたし
のところに来なさい。わたしを信じる者は聖書に書いてある
通り、その人の内から生きた水が川となって流れ出るように
なる』と大声で言われました。そして39節で、このことは
主を信じる人に与えられる聖霊について語られたことだと説
明されています。
 主イエスが聖霊を授与されことによって、その人の内から
生きた水が川となって流れ出るようになると言われたのであ
ります。このことはどういう意味でしょうか。「生きた水」
とは、流れている水のことを指しています。「溜まった水」
は腐ってしまいます。しかし流れている水は流域のあらゆる
植物に命を与え養い、豊かな実を実らせます。
 考えてみれば、私たち人間はいつでも一切の物を自己目的
化し、自己のために生きる者です。しかし主イエスが聖霊を
授与されることにおいて、人は自己目的化の生から、他者に
向かって心開かれ、人が生かされ、養われることに向かって
仕える人へと変えられるのであります。
 御子イエス・キリストの霊である聖霊を授与されると、人
は父なる神に向かって『アバ、父よ』と祈る者とされます。
また他者に対しては、主イエスによって与えられた神の恵み
を分かち合い証しするために人に向かって開かれた人とされ
るのであります。イザヤ書12章にあるますように、「主に
感謝し、御名を呼ぶ者」とされるのであります。また「諸国
の民に御業を示し、気高い御名を告げ知らせる人」にされる
のであります。
 主がわたしたちに聖霊を授けることによって、私たちは父
なる神との交わりの内に生きる者とされ、また他者に向かっ
て心開かれ、主の恵みを証し、主の恵みを携えて行き、他者
との交わりの内に生きる者とされ、主の恵みの御業に与る者
とされることが告げられております。