聖書のメッセージ


2015年07月26日(日曜)

聖霊降臨節第10主日礼拝
北千住教会 持田嗣生牧師

「真実なお方に依り頼んで」
聖書 ヨハネ7章25−31節


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   イエスは、宮で教えておられるとき、大声をあげ
 て言われた。「あなたがたはわたしを知っており、
 また、わたしがどこから来たかも知っています。し
 かし、わたしは自分で来たのではありません。わた
 しを遣わした方は真実です。あなたがたは、その方
 を知らないのです。わたしはその方を知っています。
 なぜなら、わたしはその方から出たのであり、その
 方がわたしを遣わしたからです。」
            ヨハネ7章28-29節 聖書・新改訳
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 エルサレムのある人々は、ユダヤ人指導者たちがイエスを
殺そうとしていることを知っていました。ところがこともあ
ろうに、そのイエスが神殿で公然と語っておられる姿を見て、
イエスを殺そうと時を狙っていた議員たちはイエスがキリス
トであることを本当に知ったのだろうか、と言ったとありま
す。全く信じがたいことが起こっていました。この理由につ
いては、30節の「イエスの時」がまだ来ていなかったからで
あるという言葉で示されています。人の思いと計画、人の力
が働いているこの世に、神の意思による時が介入し、神の時
が展開しているのであります。時の支配者は神であります。
 しかしエルサレムのある人々は自問しました。聖書には、
「人の子のような方が、天の雲に乗って来られ」(ダニエル
7:13)とあり、また「あなた方が尋ね求めている主が、突然
その神殿に来る」(マラキ3:1) と、救い主の来臨は超自然
的なこととして記されているのに、私たちはイエスの父がヨ
セフであり母がマリアであることを知っているし、またナザ
レ出身であることも知っているのだから、イエスは救い主で
はないのだろう、と考えたのでした。
 このように人々はイエスの言葉を聞き、イエスの恵みに満
ちた御業を見ますけれども、神を冒涜する人として殺そうと
し、或は惑わす人だと考えたりして、主イエスを信じません。
イエスの働きは真に絶望的に思われるであります。 
しかしそうした中にあって、イエスは「私を遣わした方は真
実です。あなた方は、その方を知らないのです。私はその方
を知っています。なぜなら、私はその方から出たのであり、
その方がわたしを遣わしたからです」と言われました。ご自
身の出生と出身が父なる神によることを告げておられます。
そしてイエスはこのように困難な事態の中にあっても絶望す
ることなく、なおも父なる神から遣わされたお方として宣教
と御業に励まれるのであります。
どうしてこのような歩みが出来るのでしょうか。イエスは、
ご自分を遣わされた父なる神は真実だと言われました。イエ
スを遣わした恵みの意図とご計画を必ず全うなさるのだと信
じておられます。イエスはこうした困難な事態の中にあって
も神の真実を信じて御心の成就を求められたのであります。
わたしたちは困難に遭遇すると、絶望的になります。しかし
私たちを遣わされた主は真実なお方です。わたしたちは弱く
拙い者であり、閉塞感に捕らわれやすい者です。しかし十字
架の死によってわたしたちを贖い復活された主は、一切を貫
いてご自身の恵みに満ちた約束の御業を遂行なさるお方であ
ります。わたしたちの希望はこの主の真実にあるのです。