聖書のメッセージ


2015年07月19日(日曜)

聖霊降臨節第9主日礼拝
北千住教会 持田嗣生牧師

「遣わされた者として生きる」
聖書 ヨハネ7章10−24節


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   そこでイエスは彼らに答えて言われた。「わたし
 の教えは、わたしのものではなく、わたしを遣わし
 た方のものです。だれでも神のみこころを行おうと
 願うなら、その人には、この教えが神から出たもの
 か、わたしが自分から語っているのかがわかります。
 自分から語る者は、自分の栄光を求めます。しかし
 自分を遣わした方の栄光を求める者は真実であり、
 その人には不正がありません。
            ヨハネ7章16-18節 聖書・新改訳
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 先週の礼拝においてわたしたちは、主イエスが、神が備え
支配される時である「わたしの時」と言われる時と、人間の
思いと力によって支配され展開される時である「あなたがた
の時」という二つの時について言及されたこと、またご自分
は神の備えられる時である「わたしの時」の到来に備えてお
られることを聞きました。
 主イエスは兄弟たちが仮庵の祭りに上って行った後、神の
導きを受けられたのでしょう。ひそかに上って行かれたとあ
ります(10節)。エルサレムでは、ユダヤ人たちが主イエスを
殺そうと捜していましたし、群衆の中には「イエスは良い人
だ」と言う人もあれば、「群衆を惑わす人だ」と言う大もあ
ったとあり、人々が自分の都合で主イエスのことを考え、思
い思いに振る舞っていたことを示しています。
 刈入れの祭りの中ごろ、主イエスは語り始められました。
この主の言葉を聞いて、ユダヤ人たちはこの人は正規の学び
をしていないのに、と言って驚きました。すると主イエスは、
「わたしの教えは、わたしからのものではなく、わたしを遣
わした方のものです」と言われました。ユダヤ人たちの教え
は聖書の言葉の解釈でした。しかし主イエスの教えはご自分
を遣わされた神の言葉そのものだ、と言われました、そして
この主イエスの教えは「神の御心を行おうと願うなら、神か
ら出たものか、わたしが自分から語っているかがわかる」と
言われました。神の言葉は行おうとする者にはわかると告げ、
人の神の言葉に対する基本的なありようを語られました。
 主イエスはご自分が神から遣わされた者であって神の御心
を求めており、同時に、わたしを遣わされた神の栄光を求め
ている者であることを告げられました。
 19節以降では、ユダヤ人たちがモーセの律法に従って安息
日であっても、男児の誕生から8日目に割礼を施しているこ
とを示し、わたしもまた、何時でも恵みの御業をなさる神の
御心に従って、38年病気で苦しんでいる人を安息日にいやし
たのだ。どうしてわたしを責めるのか、正しい裁きをすべき
だと告げられました。
 主イエスはこうして、人々がご自分に対して身勝手な思い
と対応をする中にあっても、ご自分が父なる神から遣わされ
た者として生きることを貫かれたことが記されています。
 わたしたちも、主から遣わされてそれぞれの立場に置かれ
ています。種々のことに遭遇しますが、その事態に振り回さ
れたり巻き込まれたりせず、主イエスによって、主の御心と
栄光を求める者として遣わされていることを日毎に思い返し
ながら、与えられた日々の歩みに勤しみたく思うのです。