聖書のメッセージ


2015年06月28日(日曜)

聖霊降臨節第6主日礼拝
北千住教会 持田嗣生牧師

「命を与える御霊」
聖書 ヨハネ6章60−65節


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   いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももた
 らしません。わたしがあなたがたに話したことばは、
 霊であり、またいのちです。
                ヨハネ6章63節 聖書・新改訳
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 イエスが「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、わ
たしの内にとどまり、わたしも彼のうちにとどまります」と
言われたので、弟子たちの多く者のが「これはひどい言葉だ。
そんなことをだれが聞いておられようか」と言ったとありま
す。61節には「イエスはこの弟子たちのつぶやきを知ってお
られた」とあります。これは2章24−25節にもあ匁ましたが、
人間が土から造られた肉なる存在であり、自分の知恵や力で
は神の言葉と御業を信じることの出来ない者であることをイ
エスが知っておられたことを指しています(3:54参照)。
 イエスは弟子たちがご自分の言葉に躓いたのを見て、「人
の子がもといた所に上るのを見たらどうなるのか」と言われ
ました。この「上る」には二つの意味があります」一つは十
字架に上げられることです。このことに肉なる存在としての
弟子たちは耐えられず、全員が主を否み、肉なる存在として
の人間のむなしさが明らかになるのであります。もう一つの
ことは、死なれたイエスが復活し神の右に上げられることで
あります。このことにより、主イエスは神の霊でありまたご
自身の霊でもある御霊を弟子たちに授与し、御霊の働きによ
って弟子たちは主イエス・キリストを信じ、主イエス並びに
父なる神との交わりに入れられ、永遠の命に与る者とされる
のであります。「上がる」は上記の二つのことを指し示して
いる言葉であります。
 63節後半には「わたしがあなたがたに話した言葉は霊であ
り、またいのちです」とあります。多くの弟子たちが躓いた
主イエスの言葉ですが、この言葉は神の言葉であり、神の霊
が共に働く言葉であり、永遠の命を与える言葉でもある、と
言われています。1章1−3節には「初めに、ことばがあった。
ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、
初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によっ
て造られた。造られたもので、この方によらずにできたもの
は一つもない。」とあります。主イエスの言葉はこのように、
語られたことがその通りに出来事となる言葉なのだと言われ
ています。創世記一章に、神が『光があれ。』と言われると
光があったとあり、『大空が水の真っただ中にあれ。』と言
われると、その言葉が出来事となったように、主イエスの言
葉は出来事となるのだと言われています。
 父なる神が御子イエスを世に遣わし、イエスは父なる神の
御心に従って十字架にかかり贖いの御業を成し、そうして父
なる神はご自身の霊であり御子の霊である御霊を人に授与し、
この御霊が主イエス・キリストを信じ、御子イエスキリスト
との交わり、並びに父なる神との交わりに与らせ、永遠の命
に与らせられることが告げられています。