聖書のメッセージ


2015年06月14日(日曜)

聖霊降臨節第4主日礼拝
北千住教会 持田嗣生牧師

「わたしは命のパンです」
聖書 ヨハネ6章41−51節


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   しかし、これは天から下って来たパンで、それを
 食べると死ぬことがないのです。わたしは、天から
 下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食
 べるなら、永遠に生きます。またわたしが与えよう
 とするパンは、世のいのちのための、わたしの肉で
 す。」
          ヨハネ6章50−51節 聖書・新改訳
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 主イエスが「わたしは天から下って来たパンです」と言わ
れると、ユダヤ人たちはイエスについて「あれはヨセフの子
で、われわれはその父も母も知っている。その子イエスでは
ないか」と言ってつぶやいた、とあります。「ユダヤ人たち」
はイエスを殺そうと狙っていた人たちでした(5:18)。彼らは
彼らの価値観によってイエスを評価し、つぶやきました。イ
エスは「互いにつぶやくのはやめなさい」と言われました。
 「つぶやく」ことは旧約にも事例がありました。神はご自
身の恵みによりイスラエルを奴隷の地エジプトから脱出させ、
乳と蜜の流れる地と言われるパレスチナに向かって荒れ野に
導かれました。その時イスラエルの民は「我々はエジプトの
国で、主の手にかかって死んだ方がましだった…あなたたち
はこの全会衆を飢え死にさせようとしている。」とモーセた
ちにつぶやきました。しかし神はすべての準備をしておられ
マナと鶉によって養われたのであります。イエスは「つぶや
くのをやめなさい」と言い、不信仰を戒めておられます。
 このようなユダヤ人に対して「わたしを遣わされた父が引
き寄せられない限り、だれもわたしのところに来ることは出
来ません」と言われました。「引き寄せる」は21章6節と11
節にも出てきますが、153匹の大きな魚の入っている網を引
き寄せる事にも使われている言葉で、父なる神がご自身の力
でもって引き寄せられる以外に、人が主イエスを信じること
は出来ないことを示しています。このことについては37節に
でも言及されていました。
 44節には「父なる神が人をイエスのところに引き寄せ、そ
してイエスはその人を終わりの日によみがえらせると告げ、
救いの御業は父なる神と御子イエスとの共働によることが告
げられています。
 51節には「わたしは、天から下って来たパンです。誰もこ
のパンを食べるなら、永遠に生きます。またわたしが与えよ
うとするパンは、世の命のための、わたしの肉です」とあり
ます。「私は命のパンです」と言われた主イエスは、更に
「わたしの肉です」と言われました。ユダヤ人たちは一年に
一度自分たちの罪の身代わりに小羊を殺し、その肉を食べ、
神に罪の赦しを祈りました。そのように、主イエス・キリス
トはご自分が十字架にかかり肉が裂かれ血が流されることに
おいて、わたしたち全ての者の罪をご自分の身に負い、罪の
赦しを与え、神との交わりの回復という永遠の命に招き入れ
て下さるお方であることを告げています。世の罪を取り除く
神の小羊であることが示されているのです。
 主イエスの十字架の死による贖いの御業を覚えましょう。