聖書のメッセージ


2015年05月17日(日曜)

復活節第7主日礼拝
北千住教会 持田嗣生牧師

「わたしだ、恐れるな」
聖書 ヨハネ6章16−21節


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   こうして、四、五キロメートルほどこぎ出したこ
 ろ、彼らは、イエスが湖の上を歩いて舟に近づいて
 来られるのを見て、恐れた。しかし、イエスは彼ら
 に言われた。「わたしだ。恐れることはない。」そ
 れで彼らは、イエスを喜んで舟に迎えた。舟はほど
 なく目的の地に着いた。
           ヨハネ6章19−21節 聖書・新改訳
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 今読まれた記事は、群衆が5千人の給食をされた主イエス
を王にするために無理やり連れて行こうとしていた中で、イ
エスは山に退かれ、弟子たちは舟に乗りカペナウムの方に向
かった時のことを記しております。
 17節に「すでに暗くなっていた」とありますが、原語では
「闇が来ていた」と訳せる言葉です。単なる夜の到来ではな
く、「わたしに従う者は、決して闇の中を歩くことがなく」
(8:12)、「闇があなたを襲うことがないように」(12:35)等の
「闇」と同じ語です。その時のことですが、「湖は吹きまく
る強風に荒れ始めた」とあります。弟子たちは闇の中で舟も
ろとも波に飲み込まれそうな状態でした。しかも「4.5 キロ
ほど漕ぎ出したところ」とありますから、ガリラヤ湖の中ほ
どになります。助けを求めることなど全くできない状況です。
闇と恐怖が弟子たちを覆っていたのであります。
 主イエスが助けるために近づいて来られました。しかし彼
らは「恐れた」とあります。闇に覆われているので助けるた
めに来られた主イエスをはっきりと捉えることは出来ません
でした。その時です。『わたしだ、恐れることはない』とい
う主イエスの声を聞いたのです。
 「わたしだ」は原語では「わたしはある」の意で、神がモ
ーセに顕現し、わたしの名は「わたしはある」なのだと言わ
れたあの言葉です。すべてのものを造り、すべてのものを成
り立たせておられる、すべての根源なるお方の現臨を意味す
る言葉です。弟子たちは、命の危機に直面し、根底から揺り
動かされるような事態の中で、一切の根源なるお方が共にお
られ、「恐れるな」と言われる言葉を聞いたのであります。
それはどんなに大きな喜びであったことでしょうか。
 彼らが喜んで主を舟にお迎えしようとすると、舟は間もな
く目的地に着いた、とあります。主イエスによって守られ導
かれて、弟子たちは目的地に着くことが出来たのであります。
 後で詳しく語られることですが、主の給食に与った5千人
の群衆も弟子たちも、主イエスのことを自分たちの欲求を満
たすお方だと解釈し、自分たちの欲求を満たす王にしようと
したのでした。しかし主イエスはそうではなく永遠の命を与
えるためにおいでになったお方でありました。弟子たちも群
衆も、この世の闇に支配されているために主イエスのことを
永遠の命を与えるお方として知ることは出来ませんでした。
 しかしこの出来事を通して、弟子たちは、主イエスは永遠
の命を与えるためにおいでになった、命のパンなるお方であ
ることを知るように導かれたのであります。
 一切の根源なる主イエス・キリストを信じて歩みましょう。