聖書のメッセージ


2015年04月26日(日曜)

復活節第4主日(労働聖日)礼拝
北千住教会 持田嗣生牧師

「徒労の生から豊かな命へ」
聖書 ヨハネ21章1−14節


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   イエスは彼らに言われた。「あなたがたの今とっ
 た魚を幾匹か持って来なさい。」シモン・ペテロは
 舟に上がって、網を陸地に引き上げた。それは百五
 十三匹の大きな魚でいっぱいであった。それほど多
 かったけれども、網は破れなかった。
         ヨハネ21章10−11節 聖書・新改訳
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 本日は復活節第4主日です。主の復活を巡る記事から御言
葉を聞きましょう。「この後」とあるのは、エルサレムでの
二回の弟子たちへの顕現の後を指しています。ガリラヤ湖畔
での主の弟子たちへの顕現については、マタイ、マルコにお
いては、主からの約束として告げられていたことでした。ガ
リラヤは弟子たちの生まれ故郷であり、主との出会いの場所
でもあり、真に彼らの生の原点なる場所でした。
 ぺテロが漁に行くと言うと、他の弟子たちも一緒に行くと
言い、小舟に乗り漁に出かけました。しかしその夜は何も取
れなかった、とあります。彼らは何度網を下ろしまた引き上
げたことでしょうか。全く徒労に終わったのであります。徒
労はわたしたち人間にとって生きていることを無意味にし、
絶望と死に至らせる厳しい現実です。朝の到来は徒労の現実
を改めて直視させる耐えがたく、身の置き場もない時です。
 聖書はこの徒労の原因について記しています(創世記3
章)。神はすべてを造り、また人を造ってエデンの園に住ま
わせ、どの木から取って食べても良いが、ただ善悪を知る木
からだけは取って食べてはならない。死ぬといけないから、
と言われました。しかしエバとアダムは誘惑を受けそれを食
べました。そのために神は彼らをエデンの園から追放し、ご
自身との交わりを閉ざし、徒労の生へと追いやられたと記さ
れています。真に私たちは徒労に包まれた生を生きておりま
す。
 徒労の下で声が聞こえました。『子供たちよ、食べる物が
ありませんね』彼らは『はい、ありません』と答えます。す
るとその人は『舟の右側に網を下ろしなさい。そうすれば取
れる』と告げました。その言葉に従って網を下ろすと、網を
引き上げることが出来ないほどの魚が網にかかりました。
 その時です。イエスの愛された弟子が『主だ』とヘテロに
告げ、ペトロは裸だったので上着をまとい飛び込み、他の弟
子たちは魚の満ちた網を引いて小舟でやって来ました。陸地
まで百メートルほどだったとあります。陸に上がってみると、
すでに炭火の上に魚が載せてあり、パンも用意されていまし
た。その方が今取れた魚を幾匹か持ってくるように言われ、
彼らはこの方と共に食事をしたのです。誰もこの方が主であ
ることを知っていたので『あなたはどなたですか』と尋ねる
者はなかった、とあります。この方が共に生きて来た主イエ
スであることをみんな知っていたのです。
 弟子たちは主の言葉に従うことにおいて、徒労の生から豊
かな実を結ぶ生へと導かれたことが記されています。
 聖書は、わたしたちもまた主イエスにより、徒労の生から
豊かな命に生きる者とされることを告げております。